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戦国武将の白頭巾の理由とは!? 【ササノンのちょっと深ぼり歴史トーク#2】 

戦国武将の白頭巾の理由とは!? 【ササノンのちょっと深ぼり歴史トーク#2】 

投稿日: 2025年10月20日
最終更新日: 2025年11月13日
ササノン制作班(ゆーき)ササノン制作班(ゆーき)

ササノンのちょっと深ぼり歴史トーク

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戦国武将の白頭巾


白い頭巾をまとった上杉謙信の画像
歴史の漫画やドラマを楽しんでいると、たまに頭巾をかぶった姿の戦国武将をみかけることがあります。なぜ彼らは、安全そうな鉄製の兜ではなく、布を頭に巻いているのでしょうか。実は、そこには彼らなりの様々な理由がありました。今回は、特に有名な3人の戦国武将の頭巾について紐解いていきます。

上杉謙信の白頭巾


上杉謙信の画像
上杉謙信(輝虎)は、現在の新潟県を中心に北陸地方で活躍した戦国武将です。山梨県を中心に活躍した戦国武将、武田信玄と長年争ったライバルとしても知られています。

そんな彼は、様々な媒体において、頭巾姿で描かれることが多いです。なぜ、彼は頭巾をかぶっていたのでしょうか。

その理由は、彼が出家をしていたからです。彼が着用している頭巾は、「行人包(ぎょうにんづつみ)」と呼ばれるもので、それは、仏教の修行をする人がつけるものでした。謙信は、出家をしてからお坊さんのような恰好をしていたため、頭巾もその一環でかぶっていたと考えられます。

これは、他の出家をした人物や僧侶にも見られ、かの有名な武蔵坊弁慶や、武田信玄の軍師の山本勘助、今川義元の軍師である太原雪斎も同様の布を被った姿で描かれます。
川中島古戦場史跡公園の石像
しかしながら、頭巾姿は兜と比べると一見危険そうに見えます。本当に布だけで大丈夫だったのでしょうか。実は、彼らは安全のために、布の下に鎖で編んだ防具を被っていたといわれています。隠れていますが、実際は刀がかすったぐらいでは問題ないくらい、しっかりと防御を固めていました。

大谷吉継の頭巾


次に紹介するのは、大谷吉継です。彼は、豊臣秀吉の家臣であり、また、同じく秀吉の部下であった石田三成の親友でした。そんな吉継をよく目にするのは、関ヶ原の合戦です。親友である三成に協力して西軍として参戦。東軍と激戦を繰り広げますが、小早川秀明の裏切りによって敗戦し、切腹してしまいます。
大谷吉継の画像
彼もまた、よく白頭巾姿で描かれます。さらに、彼の場合は口元まで布で覆っていることもあります。なぜ、吉継は白頭巾を着用しているのでしょうか。

その理由は、彼の持病にありました。断定はされていなものの、一説にはハンセン病であったとされています。皮膚がひどく崩れてしまう病気であるため、それを隠すために、布で頭を覆っていたのです。実際、関ヶ原の戦いのときには、視力も落ちてしまい、自力では歩くこともままなりませんでした。それでも、友人を手助けするために戦場に赴いて活躍をする、頭巾に覆われたその姿は、肉体の衰弱を凌駕する信念を体現したものだったといえるでしょう。

黒田官兵衛の頭巾


黒田官兵衛の画像
秀吉の天才軍師として知られる官兵衛もまた、頭巾をかぶった姿で知られています。上で紹介した二人と比べると、小さい感じではありますが、肖像画でもしっかりと着用しています。彼はどうして頭巾を着用していたのでしょうか。

それには、彼の壮絶な過去が関係しています。それは、官兵衛が織田信長に仕える秀吉と共に毛利家を攻めていたときのことです。彼らは、織田家臣であった荒木村重の謀反に直面します。それをきいた官兵衛は、彼を対話で説得するため、たった一人で敵地となった村重の居城に乗り込みました。

そして、単身でやってきたことが功を奏したのか、官兵衛は村重との対談を許され、説得は成功したかのように思われました。しかしながら、官兵衛は村重の部下にとらえられ牢屋に入れられてしまいます。その牢屋は日の光など全く入らないうえ、足も伸ばせないほど小さなものでした。そこに1年も閉じ込められた官兵衛の体はすっかり衰弱して、脚は歩けないようになってしまい、また頭髪も抜け落ちてしまいました。

それでも、閉じ込められていた城の落城とともに救出され、なんとか秀吉のもとへ戻ることができました。その姿を見た秀吉は、感激し、とてもほめたたえたといいます。

そして、官兵衛の頭巾は、その時の障害が残った頭を隠すためのものだったとされています。一年も牢屋に閉じ込められていれば、織田方の情報を渡したり、完全に裏切ったりしてそこから出してもらうこともできたはずですが、官兵衛はそうしませんでした。白い頭巾は、暗い牢屋でも保ち続けた彼の忠義心と忍耐の象徴といえるのです。

まとめ


今回は、三人の武将の白頭巾を紐解きました。
どの戦国武将も、それぞれ大事な理由があって白頭巾を着用していました。彼らのシンボルにもなっている一見柔らかそうな白頭巾には、動乱の世を生き抜いた彼らの、鉄兜よりも固い信念がこもっていました。




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