放課後のハイスト
住むならどっち?フランスvsイギリス(前編)

住むならどっち?フランスvsイギリス(前編)

投稿日: 2025年02月27日
最終更新日: 2025年02月27日
かまだかまだ

はじめに


ハイストのスタートパックセット初の世界史偏として登場した「フランスvsイギリス」。今回はこれにちなんで、実際にフランス・イギリスに住んだことのあるハイストメンバーがそれぞれの国について書いていきます。

フランス編、開始!

私は2009年から2012年まで、3年ほどフランスに住んでいました。本記事では主にパリについて紹介していきます。

パリ市の概要


見て分かるように、パリは1区から20区までがカタツムリのような形に配置されています。

簡単に言うと観光地は1ケタ台の区に多く、2ケタ台の区は住宅街が多いです。

また、北東部(18~20区あたり)は治安があまりよくないので夜間は避けた方がいいかもしれません。

ちなみにかの有名なエッフェル塔は7区、凱旋門は8区、ルーブル美術館は1区にあります。私は15区に住んでいました。

パリの名所・歴史編

・コンコルド広場

パリで歴史といえばフランス革命ですよね。1793年、ルイ16世やマリー・アントワネットが処刑されたことで知られるコンコルド広場がこちら。

メトロ1、8、12番線が通るコンコルド駅から徒歩1分です。

中央にそびえるオベリスクは1836年にエジプトのルクソール神殿から運ばれてきたもので、革命期間中1119人もの人が処刑されたコンコルド広場の過去を覆い、新たな平和の時代の象徴とすることを意図しています。

・凱旋門

シャンゼリゼ通りの西端に位置するエトワール凱旋門。メトロ1、2、6号線とRERのA線が通るシャルル・ド・ゴール・エトワール駅からすぐです。

凱旋門から放射状に12もの道路が伸びていることからエトワール(星)の名が冠されています。

ナポレオン率いるフランス軍が、1805年にアウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア連合軍に勝利したことを記念して建設が始まったものの、完成したのは1836年でナポレオンの没後となってしまいました。

第一次世界大戦時に身元不明の戦死者が凱旋門直下に埋葬されてからは、フランスのために亡くなったすべての人の記念碑となっています。

・自由の女神像

自由民主主義の普遍的な象徴として親しまれる自由の女神像。その女神像といえばアメリカのものが有名ですが、実はパリにも女神像が存在します。

本家アメリカの自由の女神像は、アメリカ独立100周年を記念してフランスから贈られたもので、彫刻家のオーギュスト・バルトルティによって設計されました。

同じくバルトルティによって作られた女神像(や、フランス政府から公式に認定されたレプリカ)は世界中にいくつか存在し、東京にも1つ存在します。パリには計5つもの女神像が存在します。

パリの名所・文化編

・エッフェル塔

メトロ6番線、ビラケム駅から徒歩10分程度の場所に位置するエッフェル塔。1889年、パリ万国博覧会のためのモニュメントとして建設されました。

建設当時の高さは312.4mで、1930年にニューヨークのクライスラー・ビルディングに抜かれるまで世界一高い建造物でした。

建設当初は地元民からの評価はいまいちで、1909年には取り壊されることが有力視されていました。しかし、1904年から軍事用の無線電波の送受信を担うようになり、1921年からはラジオ放送を開始するなど電波塔としての役割を持つようになると地元民からも受け入れられるようになり、現在までフランスのシンボルとして存在しています。

ちなみに現地に行かれる方はぜひ最上階まで1665段の階段にチャレンジしてみてください。

・ルーブル美術館

メトロ1・7番線が乗り入れるパレ・ロワイヤル=ミュゼ・デュ・ルーブル駅直結、徒歩5分の場所にあるルーブル美術館。

収蔵品38万点以上と世界最大級の美術館で、入場者数は1000万人を超えた年もあるなど世界で最も入場者数の多い美術館となっています。

ルーブル美術館はルーブル宮殿(フィリップ2世が要塞として12世紀に建設)に収容されており、ルイ14世がヴェルサイユ宮殿に王宮を移すまでは歴代フランス王の王宮として使われていました。最寄駅のパレ・ロワイヤル(王宮)はその名残で、1973年に正式に美術館として開館しました。

主な収蔵品としてはモナ・リザミロのヴィーナス民衆を導く自由の女神などがあります。ちなみに私は小学校の校外学習でここに収蔵されているミイラやツタンカーメンのマスクを見学したことが記憶に残っています。

・オペラ座

メトロ3、7、8番線オペラ駅すぐの場所に位置するオペラ座。設計者の名をとってガルニエ宮とも呼ばれます。

ガルニエ宮はパリの王立劇場としては13代目で、ナポレオン3世の第二帝政をたたえる建造物として設計されました。

1875年に開館したこの劇場は、建材としてを使用することで広大な空間を確保することに成功し、5階分に渡って計2167席と当時最大の劇場となりました。

現在でもオペラやバレエ、演劇など様々な演目の公演が日々行われています。公演スケジュールはこちらから確認できます。

フランスの料理

高級なコース料理もフランス料理の醍醐味ではありますが、ここでは街中のカフェ・レストランでいただける料理について紹介していきたいと思います。

・ガレット

フランスで出てくるいわゆるガレットといえば、こちらのようなそば粉の生地を薄く丸く焼き、中にハムやチーズ、卵といった具材を包んだものが一般的です(ブルターニュ風ガレット)。

一方で、ガレットの意味としては「丸く焼いたもの」全般のことを指すので、ブルターニュ風ガレットだけがガレットの形態ではありません。

そこで紹介したいのが、ガレット・デ・ロワです。これはアーモンドクリームが入ったパイ菓子で、写真にあるように王冠がついてきます。

パイの中にはフェーヴと呼ばれる小さな陶器の人形が入っていて、切り分けた際に見事自分のピースにフェーヴが入っていた人はその日1日王様になることができます(ローカルルールについては諸説あり)。

主に公現祭(1/6)に食べられるものなので、新年が近づくと街中のパン屋やケーキ屋でガレット・デ・ロワが売られるようになります。店ごとに味やフェーヴに個性があるので食べ比べてみるのも楽しいです。

日本ではまだあまり浸透していない食文化ですが、最近では日本でガレットを販売しているパン屋も増えてきているので、よかったら探してみてください。

・エスカルゴ

いまや某イタリアンレストランでおなじみとなったエスカルゴ。実際食べたことがある人ってどれくらいいるんでしょうか?

いや、カタツムリを食べるなんて正気の沙汰じゃない!と思う人も中にはいるでしょう。実際食用にされているのは穀物等の飼料を用いた完全養殖の個体なので何ら問題はありません。もちろん、野生のカタツムリは間違っても食べてはいけません。

意外にもエスカルゴは古代ローマの時代から食べられており、中世では肉食断ちの日にも食べてよいごちそうでした。エスカルゴ料理の本場はフランス・ブルゴーニュ地方ですが、普通にその辺のカフェでも提供されています。

味付けはパセリとニンニクを混ぜたバターソースであるエスカルゴバターを用いるのが一般的です。私自身(家族含め)かなりエスカルゴが好きで、今でもクリスマスや誕生日などにはエスカルゴが食卓に並びます。

日本で食べる場合はピカールなどの冷凍食品店や成城石井などで購入することが可能です。ですがぜひ一度本場のエスカルゴも食べてみてほしいですね。

・ブイヤベース

フランスの料理を語る上で外せないのが南仏の料理です。北部とは打って変わって海産物をふんだんに使った料理が目立ちます。

代表的な料理の一つがブイヤベースです。簡単に言うと魚介を香味野菜で煮込んだもので、味も見た目通りトマトと海鮮の風味が強い煮込み料理となっています。

元々は地元の漁師が商品価値のない魚を自家消費するために全てを大鍋に入れて塩で煮たものでした。しかし、17世紀にトマトが新大陸から入ってくると食材として取り入れられるようになり、現在の形に徐々に近づいていきました。

また、ブイヤベースには「ブイヤベース憲章」なるものが存在します。

カサゴ、ミシマオコゼ、フサカサゴ、クモエビ、ホウボウ、マトウダイ、アンコウ、西洋アナゴ

の計8種類のうち最低4種類は含まれていないと本格派ブイヤベースとしては認められないというもので、使う野菜や香辛料、使わない具材、出汁をとる子魚の種類まで細かく規定があります。

いかにも「伝統・公式」というものが好きなフランス的な部分が出ていますよね。一方で各家庭のレシピもあって、何が正解かは未だ議論が多いところではあります。

治安・居住環境関連

それで、実際住んでどうなの?というところですが、結論から言うとフランスはかなり住みやすい部類に入ると思います。

・街の様子


住んでみて思うのは、「公園が多い」ということです。有名な公園にはリュクサンブール公園ブローニュの森などがありますが、フランスの公園の個人的おすすめポイントとしては、その辺の公園にそこそこの確率で卓球台が置いてあることです。ドイツなどの公園でも見られる光景ですが、子供たちがおもちゃのラケットとボールで遊んでいる光景をよく見かけます。

街並みに関しては、パリ中心部ほど伝統的な街並みが残り、郊外ほど再開発が進んでいます。地理の授業で習った方も多いのではないでしょうか?

前述の通り私は15区に住んでいたのですが、高級住宅街と称される16区よりは控えめなものの高層マンションと伝統的な建物がいい具合に共存していました。

・治安

子供ながらに非常に満足していたように思います。もちろん親が安全を確保してくれていた部分はあると思いますが、スーパーのレジの人やアパートの管理人さんと会話を交わしたり、公園で初対面のお兄さんに遊んでもらったりととてもよくしてもらったことが印象に強いです。

一方で、日本の生活の意識のままでは甘いのもまた事実です。路上生活者は日本よりも多いですし、電車で寝たらだめなのは当たり前、私自身旅行中に車上荒らしにあったこともあります。ですがどれも意識の持ちようで対策できるものが多いです。

治安の悪い地区を避け、適切な意識を持ってさえいれば快適なフランス生活を送れることでしょう。

(*そもそも日本の治安が良すぎるだけなので、海外に行くときは注意するようにしてください。フランスはかなりマシな方ではあります)

・その他

 ・カルティエ・ジャポネ

ちょうどオペラ座とルーブル美術館との間に位置するカルティエ・ジャポネ。ここはいわゆる日本人街で、ラーメン屋や弁当屋をはじめとした日本の料理店や日本ならではの食材・調味料も取り揃えた日本食品店、さらにはジュンク堂などの書店もあります。

フランス観光においては外れがちな場所ですが、現地に住んでいた身としては珍しく日本を感じられる場所として重宝していました。

また、ここほどの規模ではないですがアジア食品店は意外にもパリ中に点在していて、米や簡単な調味料、カップラーメンなどは近所で揃えることができました。

このような点からも、パリは日本人にとってかなり住みやすい場所といえるのではないでしょうか。

おわりに


いかがだったでしょうか?かなり長くなってしまいましたが、現地の魅力はおおよそ伝えられたのではないでしょうか。

おそらくイギリスよりは魅力的に見えているはず...です。

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後編のイギリス編ともあわせてお楽しみください。ありがとうございました。


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この記事を書いた人

かまだ
かまだ

「放課後のハイスト」編集担当。専攻は心理学です。

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