
理工系の「女子枠」についてもっと考えてみた
以前、『「女子枠」は失敗だったのか? -最新のニュースをもとに考察してみた-』というタイトルの記事を出しました。URLは以下です。
https://media.highsto.net/articles/quotas-for-women-two
その記事において、字数の関係で説明不足だった部分があること、別の角度から考察してみたかったことなどがあり、本記事を書きました。
少し長いと思われますが、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。
そもそも「女子枠」とは?
前回の記事のコピペにはなってしまいますが、念のため、「女子枠」について軽く解説しておきます。すでに、前回の記事を読まれている方は、この章と次の章は読まなくても結構です。
日本の大学の理工系の学部では、男女比がかなり偏っているという現実があります。それ自体が、「試験の結果であるから構わないことなのか」、「そもそも他の学部では逆に男子が少ない学部もあるのだから、偏りがあること自体悪いことなのか」といった議論はありますが、こういった偏りをなくすことが「女子枠」の大きな目的となっています。
一般に、理系の適正に性差はないと考えられており、それにもかかわらず理工系の学部で男女比が9対1から4対1程度になっているのは、社会の方に問題があるのではないかと考えられています。例えば、社会学的には、「女性は理系に向かない」というジェンダーバイアスが存在していると考えられており、そのバイアスを是正し、平等な機会を提供することが一つの目的となっています。「理系に興味を持った女子が、進路を諦めることのないようにしたい」ということです。
こういったジェンダーバイアスを、読者の皆さんはあまり意識されないかもしれません。それは、そういう良くない状況が当たり前になってしまっているからか、すでに格差の是正が進んでいるからかもしれません。後者であれば、それは非常に良いことであると思います。
理工系で女性の視点が重要な理由
理工系の場で男女比が偏ることによって生じる不都合は、たしかに存在します。
例えば、男性基準で車などが作られる(より具体的には、男性型のダミーで実験を行う)ことにより、「事故が起きた際、男性では耐えられるが女性では耐えられないように作られてしまう」ということが起こり得ます。実際に、この話は問題になりました。やはり、客観的に製品を作るということは難しく、そういった際に女性の視点は重要となります。
男女比の偏りの是正は、「思いもよらなかったもの」がうまれるチャンスとなり得ます。
ジェンダー論とは?
「一般に、男性の方が女性よりも身長が高く、力も強い」といわれて、「違う」と答える人はおそらくいないでしょう。実際、統計をみると日本人の場合、男性の平均身長は約 で握力は 弱、女性の平均身長は約 で握力は 弱となっています。一方、個人を見れば、身長が 越えていたり、握力が男性の平均を越えていたりする女性もゼロではないでしょう。要は、「集団の特徴と、その集団を形成する個人の特徴が完全に合致するわけではない」ということです。
基本的に、全体の傾向を個々の事例に適用すること自体は間違いではありません。しかし、「例外が存在する可能性があることは念頭に置いておく必要があります」。このことがいまいち認識されていないことが、しばしば人間を苦しめていると思います。
例えば、多くの人が集団の傾向をもとに、男子は力仕事、女子は女子は補助といったようなことをいわれたことがあると思います。また、そう考える根拠があるかはともかく、大人だと男性は仕事、女性は家事育児といった感じでしょうか。しかし、実際は力仕事が苦手な男子や得意な女子もいるわけです。すなわち、性別から与えられた役割(いわゆるジェンダーロール)が、自分のやりたいことや特性と合致しないことは結構あると思います。例えば、本来は男の子が「かわいい系」、女のことが「かっこいい系」のことを好んでも全く問題はないわけですが、現実的にはなかなか認められづらくなっていると思います。
あなたも、「男の子なんだから」とか「女の子なんだから」みたいな言葉で何かしらカテゴリーの特徴を当てはめられたことにより、嫌な気持ちになったことはあるのではないでしょうか?こういった、男性だから、あるいは女性だからという性別由来で生き方が決まってしまうことが起こらないようにしようとすることが、ジェンダー論の本来の大きな目的となっています。すなわち、ジェンダー論は、性別によって役割や生き方が固定されてしまう問題を解決しようとする学問です。もっというと、「多様な生き方を尊重すること」が目的であるともいえます。特に、「男性だから」、あるいは「女性だから」という固定観念が、個人の能力や選択肢を狭めてしまうという良くない現状に注目しています。よって、女性だけに利益があるとかそういうわけではまったくありません。しばしば、この部分を誤解している人が男女問わずいるように感じます。すなわち、本来のジェンダー論は、男女問わずメリットがあるものとなっています。
この「男性だから」、あるいは「女性だから」という性別によって生き方が固定されてしまう例の一つとして、理工系の学部への進学があります。この問題点を解決するために「女子枠」はできました。
そもそもなぜ理工系に男子が多いのか
日本の理工系の学部で、男子の割合が圧倒的に高い理由は複数あるとされていますが、今回はその中でも代表的なつを紹介したいと思います。
歴史的背景
日本は明治維新以降、急速な近代化を進める中で、工業などの技術職が国の発展を支える重要な分野と位置付けられました。いわゆる、「日本の工業化」というやつです。これに伴い、理工系分野は、「国を支える男性の仕事」として認識されるようになりました。実際、工場での仕事はかなりの重労働なので、「平均的には」身体能力の高い男性の方が適していたとは思います。一方、富岡製糸場など、女性がメインで働いていた工場もないわけではありません。
さらに、戦後復興期も、インフラ整備や製造業の発展が求められ、理工系分野が男性中心で進んできました。その時代も、技術者やエンジニアといった職種が、当時は「体力や長時間労働が求められる」というイメージもあり、男性向けとされていました。実際、現代でも工場での仕事はデスクワークとかではなく、身体を使う愚直なものといって良いでしょう。一回、メーカーの工場の見学に行くもの面白いかもしれません。企業によっては、見学ツアーみたいなものもやっていると思います。
また、根本的に、「男性は高等教育(理工系に限らず)を受けられるが、女性は受けられない」という時代がありました。すなわち、女性は根本的に理工系で働きたくても、働くのに必要なことを学ぶことができなかったということです。なお、日本で初めて女子大学生を受け入れた大学は、東北大学であるそうです。そして、日本では特に、いわゆる「良妻賢母」の価値観が教育方針に大きく影響した結果、女子教育は主に家庭科や家事能力が中心となっていったとされています。現代でも、一部の女子大ではその名残で「家政学部」という学部があるところがあります。昔も、「性別による生き方の固定」があったといって良いと考えられます。
ジェンダー的な理由
日本では長年、「男性は理系、女性は文系」といったジェンダーの固定観念が強くありました。この観念は、実際多くの日本人の教育やキャリア選択に影響を及ぼしたと考えられます。
たとえば、「女性は結婚や育児を優先する」という価値観が支配的だった時代(主に昭和の時代でしょうか)には、根本的に女性が外で働くということは少なく、理工系であればなおさら少ないといった状況でした。そして、そういった「理系分野に女性が少ない」という現象が続くことで、「理系は男性が多い場所」との先入観が強化され、新しい世代にも影響を与えました。一見不思議な感じがしますが、「男性が多いから男性が多くなる」というような論理です。人間、「確実にマイノリティ(少数派)になる場」に踏み込んでいくことはハードルが高いです。このハードルの高さがたいしたことないか、非常に大きいかは人によるとは思いますが。
「女子枠」の問題点
入試難易度の変化
男子の受験生からみると、仮に「女子枠」の定員が多く、一般の定員が多く減らされるようなことがあると、ボーダーラインにいる受験生にとっては少なからず影響が出るでしょう。下手すると、「女子枠」の分の定員があれば受かってたのに…とか、自分よりも成績が下だった彼女が受かって自分が落ちるなんておかしい、となる可能性もあります。そういった意味で、「女子枠」に対して反対の意見が出るのは理解できます。
また、「女子枠」に限りませんが、試験内容が一般入試と「女子枠」とで異なることは多いと思います。その際、「女子枠」の問題の方が一般入試よりも簡単であり、合格点も特に上がることはないような場合があったとすると、不公平感があると思います。あっちの試験なら受かってたのに…となる可能性は十分にあります。
以上のように、入試の難易度が「女子枠」かそうでないかで変わる可能性があり、あまり公平とは言えないと考えられます。
不公平感
『賭博黙示録カイジ』という漫画に、兵藤和尊という人物が出てきて、「公平である必要はないが、公平感は必要」というようなことを言うのですが、実際にそうだと思います。「女子枠」が実際に公平であるかどうかは一回置いておいたとしても、公平感がなければ反対意見が出るのは当然でしょう。単純に、理屈と感情が一致しないこともしばしばあります。
例えば、「女子枠」ではないですが、「推薦入試」に対しても「不公平である」と思う人は一定数いると思います。あれはおそらく、「一般入試の不合格者の一部よりも学力が低いのに受かることがある」から不公平だと思うのだと思います。実際、内申点なんかもそうですが、点数をつける人によっては同じ人に対してでも異なる点となってしまう可能性は十分あるので、こちらも不公平な制度だとは思います。要は、採点基準が人によって異なる可能性があり、そこが不公平感の原因になっているといえます。その点、一律で受ける試験なんかは、記述式だと採点者によって差が出る可能性がありますが、選択問題なんかでは採点は統一されているので公平感はあるでしょう。
また、女性というだけで不利であるという風にみなされるということに対して、不公平感は少なからずあるような気がします。極端な話、女子の理系進学に積極的な学校があったり、そもそも男子の子供を大学に進学させたがらない親がいる可能性もあります。個人的には、首都圏に住んでいる人と、地方に住んでいる人の格差も結構あるように感じるので、性別という観点だけで一律で有利・不利と決めつけるのはいささか乱暴すぎるようにも思います。実際、首都圏に住んでいる人は首都圏の私立大学への進学も考えやすいですが、地方に住んでいる人は上京してくることを考えると、下宿代の関係で私立大学の学費だと払うことが難しい可能性があります。すなわち、選択肢が減ります。これも十分に不利であることであると思います。
実際に効果はあるのか
前回の記事でも書きましたが、実際に効果がないのであればやる意味がありません。
前回引用したニュースを見る限り、「もともと人気のある大学では影響があり、女子枠は女子を増やすうえで効果があると考えられるが、人気のない大学では逆に定員割れが起こるため、ほとんど効果がない」ということがいえると思います。もし、この考察が正しいのであれば、女子枠の効果は微々たるものであり、はたして意味があるのかとなってしまうと思います。
前回の記事でも述べた通り、一部の大学だけではなく、多くの大学で理系に進む女子を増やしたいのであれば、根本的に大学が魅力のあるものになる必要があると考えられます。特に、昔と比べるとはるかに大学の数が多い現在、「魅力がなければ選ばれない」ことになってしまうと思います。したがって、「女子枠」だけでどうにかなる問題なのかは疑問です。
おわりに
「女子枠」に関して、現代のジェンダーバランス問題を解消するための取り組みが一般に理解されづらく、実際に受験生の負担を増やしているという点は問題があると思います。理工系分野の男女比のバランスを良くする目的自体は重要ですが、それによって生じた負担を、実際に一部の受験生が負う形可能性があるのは良くないことなのではないでしょうか。
こうした課題を解決するためには、「女子枠」だけに頼るのではなく、根本的に教育現場や社会全体でジェンダー固定観念を解消する必要があると思います。「すでに、そうなってしまっていること」を大きく変えることは難しいと考えられますが。
ただし、「正しいジェンダー論」が広まらないと、逆に男女の溝を深めるような、マイナスにしかならないようになってしまう可能性も高いです。実際、SNSでは、毎日のように男女に関して言い争いが起こっています。お互いがお互いの大変なところを理解し、尊重しあえるようになれば良いのですが、なかなかうまくはいっていません。
本記事で、ざっくりとでも、「女子枠」と「ジェンダー論」に関して理解し、考えていただけたら幸いです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。本家のハイストのカードゲーム (https://highsto.net) や、ほかの記事の方もよろしくお願いいたします。

ライターに応募