
学部紹介(上智大学文学部史学科編)
はじめに
ハイストメンバーの現在通っている大学の学部・学科について簡単に紹介していく学部紹介です!
初めまして、「放課後のハイスト」ライターのふっちーです。今回は、
上智大学文学部史学科
です。
歴史科目が好きで、大学でも歴史をやりたいと思う方や、史学科がどんなことをやっているの知りたい方へ説明していきたいと思います。
史学科・歴史学とは?
高校までの、通史を覚える 「歴史」 と、大学でやる 「歴史学」 は違います。
大学でやる「歴史学」、それはざっくり言えば
「歴史上の事柄について問いを立て、史料や先行研究を使って答え(考察)を出す」
このようなことです。これが歴史学の基本です。
少し詳しく説明していきますと、
① 「歴史上の事柄」
これは完全に自由で、自分で決められるものであり、好きな時代・地域・人物などなど 様々な要素からなる分野です。
そして次にやることは
② 「問いを立てること」
史学科で大学を卒業する場合、必ず卒業論文の執筆が必要になります。さらに歴史学者にとっても論文執筆は基本の仕事です。そのために興味のある分野について、論文で追究するために何かしらの問いをもっておく必要があります。
興味のある分野で問いを立てられれば、あとは
③ 「史料・先行研究を使って問いに答えを出す」 ことです。
史料とは、歴史の中で残された記録や遺物全般のことを指し、書物や遺跡、建物など様々です。先行研究とは他の研究者が研究して残した記録や論文のことです。 これらの文献を根拠にして、自分が立てた問いに対して答えとなる考察を編み出してみます。
歴史学の大枠は大体以上の通りになります。
上智大学の史学科について
続いて私が所属している上智大学の史学科について解説していきます。(写真は上智大学1号館)
上智大学では、1年生のうちから授業で論文を組み立てる練習をしていきます。そして2年生から始まる「プレゼミ」からは希望のゼミに所属し、自分が卒論で扱いたい分野に特化していくことになります。
上智大学には、分野ごとに次のようなプレゼミ/ゼミがあります。
・西洋古代史
・西洋中世史
・西洋近代史
・西洋近現代史
・中国古代史
・中国近現代史
・日本古代史
・日本中世史
・日本近世史
・日本近現代史
私は19世紀オーストリア帝国に興味があったため、所属は西洋近現代史ゼミです。
私のゼミでは
2年生
・提示された論文を整理して発表
・ドイツ語の本や文献を読んで翻訳する
→(卒論には取り扱う地域の現地語文献を参照することも必要なので、そのための準備)
3年生
・プレゼミからゼミへ(基本は同じ分野でそのままに上がる)
・具体的な卒論の書き方や卒論の方向性を決めていくため、関連文献を探して読み、まとめる
・先輩やゼミ仲間の卒論構想を聞く
4年生
・週1のゼミはなくなり、卒業論文に集中
→一番大変で時間がかかるのは 「文献集め」 。卒論の提出が12月で、実際に文章を書く期間は大体1~2か月ほどなので、かなりの時間文献集めに専念する必要がある
以上のような形で進んでいきます。教授を頼ったり、ゼミの仲間と構想を共有しながらお互いに疑問点や論点を提示しあったりもして、4万字前後の卒論を完成させていきます。
研究・論文紹介
次は、歴史学の説明を補足することもかねて、私が研究しようと思っていることについて、最近読んだ論文と共に紹介していきます。
まず19世紀のオーストリアは今の8~9倍ほどの面積がある大国で(下の地図の黒い部分)、ドイツ人やイタリア人、ハンガリー人をはじめ、10を超える民族の人たちが住む国でした。
そんなオーストリアに、18世紀末になって加わることとなった場所がありました。弱体化を続けていたポーランドが、ドイツ・ロシア・オーストリアによって分割された結果、オーストリアの一部になったガリツィア地方です(下の地図の赤い部分)。ここには当然ポーランド人が多く住んでおり、彼らの多くはポーランド国家の復活を願っていました。 ガリツィアの位置(1914年) 著作者:Asqueladd CC 表示-継承 3.0 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Galitzia_(1914).svg による
しかし、中にはオーストリア帝国の一部になることを受け入れて適応した人もいたようです。そこで私は、オーストリア政府の文書や先行研究を使って、どんな人がオーストリアの一部になることを選び、反対にどんな人がポーランドの復活を目指し続けたのか、突き止められないかということを調べています!(暫定ですが)
そのヒントをくれた論文の一つが、『1880 年ガリツィア巡幸とクラクフ市巡幸歓迎準備委員会の活動―巡幸歓迎準備委員会による名誉市民衛兵の組織化―』 という論文でした。
概要としては、1880年にガリツィア地方最大の都市クラクフ (下の写真)をオーストリア皇帝が訪れたとき、護衛とおもてなしをすることになったクラクフ市が、市民の中から人員を募集することになったというものです。
これに応募した人はオーストリア皇帝、つまりオーストリア帝国を支持していると考えられます。
この論文では、護衛をする衛兵の応募者がどんな職業でどこに住んでいるのかなど、政府の文書を使って分析しています。結果として、公務員や高所得者の応募が多かったとのことで、クラクフ市内でオーストリア帝国を支持していた人たちの傾向は何となくつかめそうでした。
このようなやり方で、地域や見分ける特徴を他にも色々試しながら、「どんな人たちが」「なぜ」 オーストリア帝国を支持したのか、考察をひねり出すのが私の目標です。
引用:佐伯彩, 2021年,『1880年ガリツィア巡幸とクラクフ市巡幸歓迎準備委員会の活動 -巡幸歓迎準備委員会による名誉市民衛兵の組織化-』「八戸工業高等専門学校紀要」第55号, pp.29-39.
おわりに
史学科では自分の立てた問いに対して、多くの文献を整理して筋道の通った答えを用意する必要があるため、論理的思考や文章を精読して整理する力が養われます。
大学の4年間で出来ることは案外多くないですが、大学院への進学や大学での研究を続けることを選択すれば、まだ誰も踏み込んだことのない分野の解明や、今までの定説に挑戦することも可能です。歴史というものはすべての人やものが持っていますし、人によって見え方が違うこともありますから、歴史学はとても自由な学問と言えます。
歴史が好きな方、これを読んで歴史学に興味を持った方、ぜひ一度歴史学と史学科について調べてみてください。論文検索サイト 「CiNii」 (https://cir.nii.ac.jp/) や 「Google Scholar」 (https://scholar.google.co.jp/schhp?hl=ja) で好きなワードを検索し、実際に歴史学者さんの論文を読んでみるのもおすすめです!

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