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教科書の疑問を解明!#1 シベリア出兵の口実:チェコスロヴァキア兵の救出とは?

教科書の疑問を解明!#1 シベリア出兵の口実:チェコスロヴァキア兵の救出とは?

投稿日: 2025年07月03日
最終更新日: 2025年07月03日
ふっちーふっちー

はじめに

皆さん、シベリア出兵という言葉に聞き覚えはありますか?

シベリア出兵とは、1918年に日本をはじめとするイギリス、フランス、アメリカ等連合軍がロシアに対して兵を送り、戦闘状態となった出来事です。

これは第一次世界大戦中にロシアで起きた共産主義革命に介入する戦争でしたが、
別に出兵の大義名分があったことも教科書で習ったのではないでしょうか。

その大義名分とは、「チェコスロヴァキア兵の救出」 です。

山川出版社の『詳説日本史改訂版』から引用すると、

「アメリカがシベリアのチェコスロヴァキア軍救援を名目とする共同出兵を提唱した」

とあります。

ここまでしっかり覚えている人も少ないかと思いますが、筆者はこれがずっと引っかかっており、
「いきなりチェコスロヴァキア兵?誰?なんでロシアにいたの??」
と思っていました。

そこで今回は、この謎を解き明かしていこうと思います。

背景

まずこの時代の背景から説明します。1918年というのは
ドイツオーストリアなどの同盟国(地図の赤部分)と
イギリスフランスロシアなどの連合国(地図の青部分)が戦った
第一次世界大戦が終わった年です。
チェコスロヴァキア兵の存在にはこの第一次世界大戦が大きく関わってきます。

1914europa
画像: 1914年(第一次世界大戦前)のヨーロッパ https://d-maps.eu/map.php?num_car=6029&lang=ja をもとに作成

次に、「チェコスロヴァキア」についてですが、皆さんも、現在ヨーロッパ中央にある「チェコ(左上)」と「スロヴァキア(右下)」はそれぞれ聞いたことがあるのではないでしょうか。

czeslo

特にチェコは、2023年のWBCで侍ジャパンと戦った国でもありますね。現在チェコとスロヴァキアとして存在するこの二国は、1918年から1992年まで「チェコスロヴァキア」という1つの国にまとまっていました。

そしてさらにその前、1918年(第一次世界大戦終結)以前はオーストリアの一部で、チェコ人とスロヴァキア人は自分の国を持たず、オーストリアの支配下でした。
austria
※現代の地図に、黄色で1918年までのオーストリアを示しています。

チェコスロヴァキア軍団と第一次世界大戦

役者が出そろったところで、本格的に説明していきます。

オーストリア国民であったチェコ人やスロヴァキア人は、オーストリア軍に徴兵され、同盟国軍の一部としてロシアやフランスなどの連合国と戦っていました。

しかし、当時は「自分の民族に自分の国が欲しい」という考えが世界中に広まっていた時期です。チェコ人やスロヴァキア人も、オーストリアの国民として素直に従うばかりではなく、オーストリアからの独立を目指す勢力もありました。
特にチェコ人の中ではマサリクという人が中心になり、チェコ人に加えて民族的に近いスロヴァキア人を加えた、「チェコスロヴァキア人」 によるチェコスロヴァキア国家を作ろうと考えました。

masaryk
画像はチェコの5000コルナ紙幣に使われたマサリクの肖像画
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:5000_Czech_koruna_Obverse.jpg
Phamat123, Public domain, via Wikimedia Commons

他にもチェコスロヴァキアを独立させるために動いていた人の中には、捕虜(ほりょ) もいました。
戦闘に負けてロシアなどに捕らえられたチェコスロヴァキア人の兵士の中には、オーストリアを裏切ってロシア軍と一緒に戦う代わりに、活躍した見返りとして、チェコスロヴァキアを独立させてもらおうと考える人たちもいました。彼らはロシア軍の中の、「チェコスロヴァキア軍団」 と呼ばれていました。

オーストリアの支配下でチェコスロヴァキアは作れないと考えたマサリクは、チェコスロヴァキア軍団と連携し、イギリスやフランスにも働きかけ、チェコスロヴァキアを独立させる後押しをしてもらおうとしました。

激変するヨーロッパ

連合国で活躍し、自分の国を持つという夢を掲げて、時にはオーストリア軍にいる同じチェコスロヴァキア人兵士とも戦うチェコスロヴァキア軍団に、転機が訪れます。

それがロシア革命です。

これまでロシアの捕虜として戦っていたチェコスロヴァキア軍団でしたが、ロシアが革命により内戦に突入し、世界大戦から離脱してしまうと、チェコスロヴァキア軍団も闘い続けるために、移動する必要が出てきます。

チェコスロヴァキア軍団「戦い続けて戦果をあげるために、フランス軍に合流したい」
フランス「ドイツをはさみ込んでたロシアが離脱したせいで、ドイツの攻撃が激しくなってる!チェコスロヴァキア軍団が増援に欲しい」

こうして、フランス軍に合流するため、内戦で混乱しているロシアを少しずつ移動するチェコスロヴァキア軍団でしたが、また状況が大きく変わる出来事が起きます。
それは、アメリカ軍の到着世界大戦の終結です。

1917年に大戦に参加したアメリカがヨーロッパに派遣した軍の到着により、連合国の優勢が決定したこと、
またドイツでも革命が起こったことにより、第一次世界大戦は連合国の勝利で決着しました。

続くチェコスロヴァキア軍団の闘い

オーストリアも、戦争末期にハンガリーやクロアチアが独立していく中で崩壊し、
念願のチェコスロヴァキア共和国もこの時成立しました。

しかし、ロシアから新たにできた祖国へ帰ろうとするチェコスロヴァキア軍団に、新たな障害が立ちはだかりました。

それは、ロシアで革命を起こしたロシア赤軍です。

帰国のためにロシアを移動していたチェコスロヴァキア軍団が、内戦の敵側に味方するのではないかと警戒していたロシア赤軍のトロツキー(下の画像)は、
チェコスロヴァキア軍団の解体と、関係者の逮捕を命じました。

これを拒否したチェコスロヴァキア軍団とロシア赤軍は何度か戦闘をし、さらにチェコスロヴァキア軍団のロシア脱出は遅れることになります。

そうした中で、ロシアに誕生した共産主義政権を警戒するアメリカやイギリスや日本が、内戦に干渉するための口実として、彼らチェコスロヴァキア軍団の救援というのを持ち出したわけです。

おわりに

その後、多くは無事チェコスロヴァキアに到着したみたいですが、
教科書で「チェコスロヴァキア軍救援」とだけ書かれていたことでも、深掘りしてみるとこれだけの背景があるんです。
かなりおおざっぱに書きましたが、それでもこれだけの分量になってしまいました。
これはさすがに教科書には載せきれませんよね。

こんな風に、尺の都合で教科書に載りきらない部分も、疑問をもって調べてみればすべてにいろんなつながりがある、
というのが歴史を勉強していて感じる面白さの一つだと私は思います。


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ふっちー
ふっちー

史学徒です。
東欧史が好きで、2025年秋から一年間クロアチアに留学予定です!

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