
「幸せ」ってなんだろう? ~歴史を振り返って考察してみた~
「幸せ」とはなにか、みなさんは考えたことがあるでしょうか?
本記事では、「幸せ」に関して、歴史を振り返って考察してみたいと思います。
みなさんの「幸せ」に少しでもつながっていただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
はじめに
そもそも「幸せ」とはなんでしょうか。
お金があることでしょうか。家族と過ごせることでしょうか。
この問いに対する答えは、実は、時代や人の立場によって大きく変わってきました。日本の歴史をたどることで、私たちが何を「幸せ」と感じ、何を大切にしてきたのかが予想できます。
そこで、特に平安時代から現代までの間に、庶民と支配者という観点から、「幸せのかたち」がどのように変わっていったのかを考えてみたいと思います。そして、最後に現代における「幸せ」のあり方、そしてそれに潜む課題についても詳しく考察したいと思います。
時代ごとの「幸せ」
平安時代の「幸せ」
平安時代(~年)は、貴族階級が支配していた時代でした。支配者である貴族たちは、和歌や絵巻物、恋愛、季節の移ろいを感じることなど、美的な感受性を大切にし、それを「幸せ」と感じていました。具体的には、紫式部の源氏物語や、清少納言の枕草子などがあります。
一方、庶民の生活はきわめて厳しく、飢饉や疫病、戦乱などの危機に常にさらされていました。例えば、平安時代の中の年から年まで続いた貞観時代には、富士山の噴火、疫病、京都での洪水や飢饉、東北地方の大震災などが続発しました。したがって、記録は少ないですが、彼らにとっての幸福は「生きのびること」、すなわち、家族とともに健康に暮らすことが最大の願いだったと考えられます。
鎌倉・室町時代の「幸せ」
鎌倉時代には武士が力を持ち、貴族から武士が支配階級の中心となりました。彼らにとって幸福とは、名誉を守り、主君への忠義を果たすことでした。名を残すことが人生の目的であり、時に死をもってそれを達成する武士も多かったといわれています。いわゆる「武士道」精神のようなものでしょうか。
一方、庶民には仏教、特に浄土宗や日蓮宗が広まり、「死後に極楽に行ける」と信じることで、日々の苦しい生活を支える精神的なよりどころとしていました。現代でも、仏像にお祈りをする人は一定数いると思います。現世ではつらいことが多くても、「来世での幸福」を信じることで心の安定を得ていました。
戦国時代の「幸せ」
戦国時代(~年)は文字通り戦乱が続き、庶民にとって非常に厳しい時代でした。支配者たちは、領土を広げること、力を示すことが幸福としていました。一方で、庶民は戦の被害にさらされ、命を守ることそのものが大きな課題であり、日々を生きのびることが精一杯でした。大河ドラマなどではよく題材となる時代であり、戦国武将は実際非常にかっこいいですが、それと同時に非常に大変な時代であったと思います。
それでも、家族や地域のつながりが心の支えとなり、また信仰や年中行事などによって、ささやかな幸福を感じることができた人々もいたと考えられています。
江戸時代の「幸せ」
江戸時代(~年)は、戦乱が収まり、庶民にとって安定した生活が可能になった時代でした。年以上一度も戦争が起きず、平和だったわけですから、かなり良い時代だったのではないかと個人的には思っています。支配階級である武士にとっては、名誉や格式を守ることが幸福とされていましたが、実際には経済的には苦しかった武士も多かったようです。
一方、農民や町人たちは、安定した生活の中で商売や農業を行い、町人文化(歌舞伎、落語、浮世絵など)を楽しむ余裕が出てきたと考えられています。浮世絵の菱川師宣や人形浄瑠璃の近松門左衛門が有名でしょうか。季節の祭りや年中行事、地域のつながりが庶民の「幸せ」を支えていたようです。なお、お寿司がうまれたのもこの時代だったそうです。
明治時代から戦前の「幸せ」
明治時代になると、日本は急激に近代化し、西洋化と軍事国家化を同時に進めました。支配者層の幸福は「国を強くする」、「帝国の民として誇りを持つ」ことであり、庶民にも「国家のために尽くすことが幸福」と教えられるようになりました。実際、帝国主義のもと日本は急速に発展し、世界的にみてもかなりの強国になりました。
一方、豊かになったのかというと必ずしもそうではなかったようです。実際、学校教育や徴兵制を通じて、個人よりも国家が大切という価値観が広まり、庶民の幸福はしばしば「がまん」にすり替えられていきました。戦時中の話にはなりますが、「欲しがりません勝つまでは」という標語を、みなさんも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
なお、の「朝ドラ」では、しばしば戦前から戦後にかけた話をやりますが、特に戦時中はかなり苦しい生活をしていたということがしっかりと描写されていると思います。また、『この世界の片隅に』という、漫画および映画がありますが、戦時下のことが非常によくわかり、当時の庶民にとっての幸せとは何かがわかるので、非常におすすめです。予告編は以下となります。近々、再上映するらしいです。
戦後からバブルの「幸せ」
第二次世界大戦での敗戦後、日本は大きく変わりました。民主主義が導入され、自由と平等が理念とされました。人々は焼け野原から立ち上がり、「豊かになること」が何よりの幸福とされました。実際、「朝ドラ」でしばしば描写されるように、戦後直後は闇市などで生活をするしかなかったところから、急激な復興を遂げました。
今では当たり前になってしまったかもしれませんが、当時は冷蔵庫・洗濯機・テレビといった三種の神器や、自家用車、持ち家といったものが「夢」であり、それを手に入れることが「幸せ」と考えられていました。支配者層は高度経済成長を成功とみなし、「一億総中流」という考えのもと、人々は自分たちが中間層であると信じて働いていました。「努力すれば報われる」という考えが社会に浸透し、実際に多くの人が生活の向上を実感していたことから、ある意味庶民にとっては一番「幸せ」だった時代かもしれません。
一方、この時代は物が手に入り、教育や医療も整っていった時代ではありましたが、長時間労働や過労死、「男は仕事、女は家庭」といった性別役割分担の押しつけ、公害などがひどかった時代でもあります。歴史の時間に習うと思いますが、「イタイイタイ病」や「水俣病」、「四日市ぜんそく」などの有名な公害事件は、経済成長の代償としての環境破壊と人々の健康被害を象徴しています。すなわち、光と闇の両方があった時代です。なお、公害に関して詳しく学びたいのであれば、ジョニー・デップ主演の『MINAMATA-ミナマタ-』という映画が参考になると思います。タイトル通り、水俣病に関する実話がもとの映画です。以下、公式の予告です。
年代末にはバブル経済が頂点を迎え、株価や地価が異常なまでに高騰しました。この時代、人々は「豊かさ」に酔いしれ、一種の熱狂が社会全体を包み込んだといわれています(僕は生まれてなかったので実際どの程度のものだったのかはわかりませんが…)。めちゃくちゃお金があった時代だったそうです。しかし、年にバブルが崩壊すると、企業の採用は急減し、年代中盤以降の若者たちは「就職氷河期」と呼ばれる厳しい雇用環境に直面しました。彼らは正社員としての就職が困難で、非正規雇用やフリーターとしての生活を余儀なくされました。結果として、この世代は、結婚や出産、住宅取得といったライフイベントが難しくなり、長期にわたる不安定な生活を余儀なくされました。現代の少子化の一因ともいわれています。結果として、今では「失われた年」と呼ばれる経済低迷期に突入することになってしまいました。これにより、「努力しても報われない」現実を目の当たりにした若者たちの間には、希望の喪失と将来不安が広がっていったとされています。
このように、戦後からバブル期にかけての「幸せ」は、物質的な豊かさに大きく支えられ、実際それまでと比べたら安定している分かなり「幸せ」な時代だったといえると思いますが、その背後には新たな社会的課題も芽生えていたといえます。「昔は良かった」的なことをいう人がしばしばいますが、闇の部分も大きかったということは、しっかりと認識しておくべきだと思います。
現代の「幸せ」
ネガティブな面
現代は、これまでと比べて自由が多い時代です。良くも悪くも、「何をしてもいい」「どう生きてもいい」という選択肢が広がりました。
やインターネットにより、情報も豊富になり、自分の意見や趣味を世界に発信できるようになりました。しかし、その一方で、「他人と比べること」が加速し、劣等感や不安を感じやすい環境にもなっています。それまでは認識しづらかった格差などを目にすることが増えたということです。良くも悪くも、いわゆる、「キラキラした人」をネットの世界ではたくさん見ることができます。
経済的格差も拡大し、非正規雇用やブラック労働といった働き方の不安定さが若者の将来不安を増しています。特に、現在代から代くらいの就職氷河期世代の人たちは、結婚や子育て、持ち家の取得といった従来の幸福モデルを手に入れにくく、社会との断絶感を持つ人も少なくないです。これが、現代の大きな問題の一つである少子化にもつながっていると考えられます。
また、ゲームが買ってもらえないことが「不幸」と感じられるように、物質的な豊かさではなく、「自分の望みが通らないこと」や「他人と比べて劣っていると感じること」が、幸福を感じにくくする要因になっているといえるのではないでしょうか。
加えて、現代ではジェンダーの問題も深刻です。女性は家事・育児・仕事の三重苦に直面し、男性は「弱音を吐くな」「家族を養え」というプレッシャーのもと、女性よりも長い残業などの厳しい労働環境に苦しむことが多いといわれています。実際、男性は社会的な支援が女性よりも受けづらく、自殺率は男性の方が高いという事実があります。
庶民も支配層も、かつての士農工商のような明確な上下関係がないかわりに、「誰もが自分の幸せを自分でつくる責任を負わされている」ともいえます。また、要求されるスキルも、昔と比べると比べ物にならないほどハイレベルになっていると思います。ある意味、非常に生きるのが難しい時代といえるのではないでしょうか。その結果、現代人の幸福度は、物質的な豊かさや平和という環境があるものの、そこまで高くなってはいないように感じます。
ポジティブな面
ここまで、かなりネガティブなことを書いてきたので、ポジティブな面にも触れておこうと思います。
現代は、たしかに生きるのが難しいと感じることもありますが、それでも過去と比べれば、多くの点で「よりよく生きる」ための環境が整ってきていることも事実です。
まず、教育の機会が大きく広がったことは、現代の大きな幸せの一つだといえるでしょう。中学生や高校生だけでなく、大学や専門学校、さらに社会人になってからも学び続けることができる「生涯学習」のしくみが整っています。家庭の経済状況によらず、奨学金制度やオンラインの無料授業などを活用することで、高度な知識にアクセスできるようになったのはまさに現代の強みです。実際、大学進学率は約%でありかなり高く、国公立大学であれば年間~万円ほどで通えることを考えると、まだまだ捨てたもんではないのではないかと思います(海外大と比べると、基本的にかなり安いです)。
さらに、環境問題への意識の高まりも、私たちの暮らしをよりよくする方向に進んでいます。先ほど述べた通り、かつての日本は、高度経済成長の時代に「公害」という大きな問題を抱えていました。空気や水が汚れ、健康に被害が出るようなことも多くありましたが、今では技術の進歩とともに、それらを大きく改善することができました。大気も水も、昔と比べてはるかにきれいになり、自然とふれあう場所も増えています。海外ではいまだに環境汚染をしながら工場などを稼働しているところもありますから、そう考えるとかなり良い環境になったといえるのはたしかだと思います。
加えて、昔はとても高くて特別な人しか使えなかった技術が、今では多くの人にとって身近になっています。たとえばコンピューターやスマートフォンは、かつては一部の研究者やお金持ちだけが使えるものでしたが、今では多くの家庭や学校にあり、だれでも使える時代です。インターネットも、昔は限られた人だけのものでしたが、今ではほとんどの人がいつでも世界中とつながれるようになりました。例えば、昔はテレビから出てくる音楽をラジカセを使ってテープにがんばって保存していた時代もあるようですが、などでいくらでも公式の音楽を聴くことができます。
このような技術の進歩は、生活を便利にするだけでなく、新しい仕事や表現方法を生み出すチャンスにもなっています。絵を描いたり、音楽を作ったり、動画を配信したりすることも、スマホ一つでできてしまうのです。昔なら「プロだけの世界」だったことが、今ではだれにでも開かれています。実際、でクリエイターとして活動し、それを仕事としている人はごまんといますし、できることが増えたことはたしかです。
また、医療の進歩も見逃せません。昔なら助からなかった病気やケガでも、今では治療できるようになり、多くの人が長く、元気に生きられる時代になっています。健康診断やワクチン接種など、予防のしくみも整っていて、安心して日常を送れる社会になってきました。特に、日本は保険がしっかりとしているため、基本的に誰でも世界的にみてもかなり高度な医療を受けることができます。これは、他国と比べるとかなり特殊なことです。
そして何より、「幸せのかたちは一つじゃない」という価値観が広がってきたことは、現代のとても大きな変化です。人とちがっていてもよくて、自分なりの生き方を見つけていい。それを受け入れてくれる社会が、少しずつではありますが、育ってきているのです。いわゆる「多様性」の一つだと思います。
こうして見ると、現代には不安もあるけれど、自分の力で未来をつくることができる「可能性」に満ちた時代ともいえるのではないでしょうか。
結局、「幸せ」とは何か
歴史を振り返ってみると、庶民にとっての幸せとは、とにかく生き残ること、衣食住が保証されることから始まり、それらが安定すると、今度はさらなる豊かさを求め、現在では別の部分で幸福を感じているように思います。
以前、「『クレヨンしんちゃん』に出てくる野原一家が理想の家族であり、幸せである」といった話を聞きました。というのも、家族仲が非常によく、富裕層というわけではないものの、食うのに困っているほど困窮しているわけでもないからです。ジェンダー的な視点や、現代社会だと、共働きの方が良い、あるいはそうしないとやっていけないという話になるのかもしれませんが…。
一方、現代の若者の独身率は高いです。これは、結婚したくてもできないからそうなっているのか、女性も経済面で男性に依存する必要がなくなってきて、自立できるようになったからなのかはわかりませんが、今後さらに独身率が高まっていき、『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』に出てくるような家庭はどんどん減っていくのかもしれません。すなわち、子供にとっての人生のモデルケースになりそうな作品に出てくる生活を送る人は、今後どんどん減っていくような気がします。僕も子供のころは、『クレヨンしんちゃん』の野原ひろしのように、「首都圏で働いて一軒家を持って…」というような風になるのかなと思っていましたが、かなり現実味がないのではないかと今は思っています。
このように、今までの当たり前が当たり前でなくなることは、過去に数え切れないほどありました。すなわち、結婚して子供を育てて…みたいなモデルケースはもはや普通ではなく、好きなように生きていい、結婚してもいいし独身でもいいというような時代なのかもしれません。したがって、「幸せのかたちは多様化している」ということは確実に言えるのではないでしょうか。すなわち、モデルケースはないが、好きなように生きられる時代であると思います。社会が構成する幸せのモデルケースに固執しなくていい分、今までで一番良い時代であると考えることもできるかもしれません。国単位でみると、少子化につながるため、良いことではないという風になってしまいますが…。
おわりに
はじめに、「幸せとはなにか」と問いかけました。
歴史を通して見えてきたのは、「幸せ」は時代や立場によって変わっていくものだということです。
そして今、自由も平和も手に入れたように見える現代の私たちが、「本当に幸せなのかどうか」は、他人が決めることではありません。
それぞれが、自分の価値観で「自分にとっての幸せとは何か」を問い直し、答えを探し続けること、その過程こそが、私たちが「幸せに近づく」ということなのかもしれません。
ここまで読んでいただきありがとうございました。他の記事(特に歴史カードゲームHi!story(ハイスト)の思い)や本家のハイストの方もよろしくお願いします。
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