
ハイスト謎#14 風刺か娯楽か?
ハイスト謎#14
それでは本日の1問です。
難易度:☆☆自力で解きたい方はスクロールをしないようお願いします。下で解答・解説を表示します。
どうしても行き詰まってしまった場合は教科書や資料集、ネットなどに頼っても大丈夫です。
解答・解説
選択肢のひらがなを、縦横全てが意味の通る単語になるようにマスに配置していくと、このようになります。よって、答えるべき赤い部分(下段)は「まんが」であると分かります。
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漫画の起源は諸説ありますが、風刺的な意図を含んだ絵画作品という面では鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)が最初だといわれています。鳥獣戯画は12~13世紀にかけて作られた絵巻物なので、現代までおよそ800年もの歴史があることになります。
他にも漫画というと葛飾北斎の「北斎漫画」を思い浮かべる人もいると思います。しかし、ここでいう「漫画」は「漫然と描く」、あるいは同時期に出版された「漫画随筆」のようにあらゆる題材を網羅するという意味で用いられたとされており、現代の意味とはまた違った捉え方をしていました。
では、現代の漫画の在り方に近づいてくるのはいつからなのでしょうか。
江戸時代末期~明治期になると、ワーグマンの「ジャパン・パンチ」、ビゴーの「トバエ」に代表される風刺雑誌が創刊されるようになります。日清戦争時の情勢を描いた釣りの絵などは教科書で見た方も多いのではないでしょうか。ただ一方でこの時代の風刺漫画は政府批判の色が強く、たびたび発禁処分になっていました。
このような海外からの文化も取り入れて日本の漫画文化は独自に成長を遂げていきます。1923年には子供向け漫画「正チャンの冒険」で初めて吹き出しが用いられ、「コマ」「吹き出し」といった概念が定着していきます。その後も「特定のキャラクターによる一貫した物語」「複数のコマの連続する形式」などの基礎を得て、当時のポンチ絵(風刺画)と区別する形でアメリカの「コミック・ストリップ」の訳語として「漫画」の語が使われるようになります。
しかし時代が戦争へと進んでいくと、漫画は娯楽としても社会風刺としても政府に目を付けられほとんど出版されない状態に陥ります。
それでも戦後、自由な言論が復活すると投資家にも支えられ漫画は復活。風刺漫画や子供向けの絵物語が再び多く出版されるようになります。
そして1947年、単行本においてまとまったストーリーを展開する漫画の方式を手塚治虫が確立。「新宝島」で漫画ブームを引き起こします。その影響力の高さからも手塚治虫は現代漫画の始祖として多くの人に認識されています。
おわりに
いかがだったでしょうか?
現代では、漫画の日本市場の規模はおよそ7000億円、出版市場全体の4割以上を占めていると言われています。
また最近では海外進出も好調で、年間およそ3000億円もの海外売上があります。
「現代漫画」としての歴史はまだ浅いかもしれませんが、そこに至るまでの約700年のことを考えると感慨深くなりますね。
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