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【城めぐり】西国鎮衛の任・福山城

【城めぐり】西国鎮衛の任・福山城

投稿日: 2025年09月25日
最終更新日: 2025年09月25日
かまだかまだ

こんにちは!ライターのかまだです。

福山滞在編2記事目となります。前の記事では「弁慶の足跡」という史跡も訪れていますのでそちらも合わせてご覧ください!

福山城

福山駅北口を出ると、目の前にそびえたつ福山城奥の方に見えているのが天守(福山城博物館)になります。

その天守(福山城博物館)がこちら。本来の天守は第二次世界大戦中の空襲にて焼失してしまいましたが、1966年に市制50周年事業として再建、そして2022年に福山城築城400周年を記念して令和の大普請を実施、当時の外観が再現され博物館もリニューアルオープンされました。

福山城の歴史

福山城の築城が開始されたのは1620年。前年には江戸幕府からここを西国鎮衛の拠点とするため水野勝成(徳川家康のいとこ)が入封しています。

当時は新たな築城が禁止されていた時期でしたが、幕府の命により例外的に認められた築城でもありました。

こうして1622年に福山城が完成すると、水野勝成が福山藩初代藩主となります。

水野勝成はただ家康のいとこというわけではなく、初陣で15人もの首を討ち取ったり大垣城攻めの際は家康軍の総大将を務めるなどかなり功績のある人物でした。そんな人物を派遣するのですから幕府の西国鎮衛への力の入れ具合が見て取れますね。

そして、幕府の力の入れ具合が分かるポイントがもう一つ。こちらは先程の天守を裏側(北側)から見た写真です。2つの写真を比べると、北側は壁が黒くなっていることが分かると思います。

実は北側は堀がないなど守りが手薄だったため、敵からの攻撃に耐えられるよう1階から4階まで全て鉄板でおおわれているのです。このような装備は日本全国でも唯一となっています。

こうして水野勝成と福山城のもと福山藩は発展していきます。海の埋め立て工事や真水を引く治水工事(日本で5番目に古い上水道)、藩札(地域限定の通貨のようなもの)の整備など町人町の発展に努め、名君と呼ばれるまでになりました。

福山藩の藩主は水野家が5代務めた後、松平家が1代、阿部家が残り10代を務めました。中でも有名なのは阿部家第7代藩主の阿部正弘でしょう。江戸幕府の老中首座として黒船来航の対応や安政の改革を断行するなど激動の時代を生きた人物として知られています。

城内コンテンツ

そんな阿部正弘と阿部家に関する展示は城内3階にあります。阿部正弘や幕末に関するクイズコーナーもあり、歴史が得意な人はぜひチャレンジしてみてほしいですね。

2階では水野勝成と水野家に関する展示がされています。大坂夏の陣での活躍をモチーフにした「一番槍レース」(馬を模した装置に騎乗して行う障害物レースのようなゲーム)や87歳のとき、約36mも先の的を撃ちぬいたという逸話に挑戦できる「火縄銃体験」など体験型の展示も豊富です。

1階は企画展示室となっており、福山城の歴史に沿った様々な貴重な展示を見ることができます。

4階は福山城シアターとなっており、水野勝成のまちづくりの映像などを見ることができます。

そして、最上階の5階。天守最上階は展望台となっており、福山市内を360°見渡すことができます。また、水野勝成の甲冑も展示されています。大垣城攻めの際に着用したもののレプリカだそうです。

おわりに

いかがだったでしょうか?

駅からもかなり近く、1時間ほどあれば十分に内容を満喫できると思うので福山駅に寄った際はぜひ行ってみてください。

また各地の城郭を訪れた際は記事にしていこうと思うのでそちらもよろしくお願いします。

ありがとうございました。


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かまだ
かまだ

「放課後のハイスト」編集担当。専攻は心理学です。

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