放課後のハイスト
議論でのストレス軽減法

議論でのストレス軽減法

投稿日: 2025年11月03日
最終更新日: 2025年11月03日
RopiRopi

最近、研究室でのミーティングや、先輩方とのディスカッションをやっていて気づいたことがあります。それは、「SNSにおける議論では、論理的に問題のある主張や、客観性のない感情のようなものを、さも客観的な主張であるかのように議論を行う人がいる」ということです(ディスカッションでは、客観的な実験結果や論理的にありえることを考えるので、感情は基本的に入りません)。

しかも、それに対してかなりの数の「いいね」などがついている。

個人的に非常に疑問だったのですが、それは、「ある程度多くの人間が、論理ではなく、感情でものごとを判断している」という側面があるからだと思いました。例えばですが、「自分が不快だから、適当に理由をつけたり、多くの人がそう考えているという風に捏造して叩く」ということをする人は結構頻繁に見るように思います。

こういう人たちによる悪影響がないのであれば当然無視すればよいのですが、実際は、例えば企業がクレームに応じて対応を取らざるを得なくなったり、ゲームやアニメ、漫画で内容が変えられてしまうこともあります。それは、消費者の観点からすると非常に迷惑であり、無視できる事柄ではありません。したがって、そういった無理のある主張には反論する必要があります。しかし、実際はそううまくいきません。

本記事では、以前書いた『その論理大丈夫? ~よくある論理の誤りとその見分け方~』という記事のように、論理の問題点を考えながら、SNSや職場で遭遇しやすい不公平な論法を見抜き、精神的消耗を防ぐことを目的としています。特に日常生活や職場での対人関係において、役に立つ可能性が高いと思います。

よろしくお願いいたします。

ダブルスタンダード

ダブルスタンダードとは

ダブルスタンダードとは、本来であれば同じ基準で評価・判断されるべき事柄に対して、相手や状況、あるいは自身の都合によって、矛盾した二つの主張を不公平に使い分ける態度のことをいいます。その根底には、「自分は特別であり、ルールや道徳の適用外である」という特権意識や自己中心的な考え方があるといえます。

この論理の最大の問題点は、「一貫性の欠如」です。論理的な対話や信頼関係は、共有された一貫性のあるルールという土台の上に成り立ちます。ダブルスタンダードは、その土台そのものを破壊する行為であり、相手に「不誠実」、「不公平」という強い不信感と憤りを抱かせます。

具体例

ダブルスタンダードは、社会のあらゆる場面に潜んでいます。よくあるのは、「自分はいいけど人はダメ」という話です。

ジャイアニズム

『ドラえもん』に出てくるジャイアンの有名なセリフとして、「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの」というものがあります。これは、「ジャイアニズム」とも言われています。これは、

  • 他人に対して:「おまえのものはおれのもの」というルールを適用する。

  • 自分に対して:「おれのものもおれのもの」というルールを適用する。

という構造になっているため、自分と他人で適用するルールを変えていることになります。これは、客観的に見て不公平です。「Aさんには法律が適用されて、スピード違反したら逮捕されるが、Bさんには適用されず、どれだけ速度を超過しても構わない」という風になっていたらおかしいのと同じです。

不倫

自分が不倫をしているのにもかかわらず、他人の不倫は「倫理的に許されない裏切り行為」として激しく批判する人もいます。死語になっている気もしますが、「お前が言うな」を略した「おまいう」案件です。

表現の規制

表現の規制について、「自分が好きなものは認められるべきだが、人が好きなものであっても、自分が嫌いなものは認めない」という主張をする人もいます。個人の考えとして、好きなもの嫌いなものがあるのは当然ですが、自分の好きなものは認められなければならず、自分が嫌いなものはダメというのは無理があります。ほかの人にも当然、好きなものを認める権利があるわけですから。

ダブルスタンダードへの対処法

もしあなたがダブルスタンダードの被害に遭った場合、以下のような対処法が考えられます。

  • 感情的にならず、「その判断の基準は何でしょうか?」と客観的なルールを問いかける

  • 「以前の〇〇とは、どこが違うのでしょうか?」と、過去の事例と比較して一貫性を問う

  • 「もし、私の立場がAさんだったとしても、同じ判断になりますか?」と問いかけ、公平性を確認する

ただ、このように、建設的な議論をしようとしても、最終的には後述するように暴言などで強引に主張を通そうとしてくる人や、そもそも人の話を聞かない人もいます。そういうときは、残念ながらあきらめるしかないでしょう。議論を続けるだけ無駄です。精神的な消耗を避けるためにも、その場から離れる勇気も必要です。ただ、客観的にはあなたの方に分があります。そのことはよく認識しておきましょう。大雑把にいうと、論破されても、それを認めない人は存在するということです。そういう人とはかかわるだけ無駄です。

ダブルバインド

ダブルバインドとは

ダブルバインドとは、「コミュニケーションの受け手が、二つの矛盾したメッセージを同時に受け取り、どちらの指示に従っても罰せられる、あるいは否定されるという、逃げ場のない状況に追い込まれる現象」を指します。

これは単なる矛盾した発言ではありません。ダブルバインドが成立するには、いくつかの要素があります。

  • 逃れられない関係性:受け手は、相手との関係から簡単に逃げ出すことができない。

  • 矛盾を指摘できない状況:受け手が「あなたの言っていることとやっていることは矛盾しています」と指摘することが許されない、あるいは困難な権力構造や雰囲気がある。

この状況に置かれた人は、何を信じ、どう行動すれば良いのか分からなくなり、深刻な混乱とストレスを感じます。簡単に言うと、どちらを選んでも「間違い」とされるため、何もできなくなります。『ロバと老夫婦』という有名な風刺画がありますが、それに近い面があると思います。

具体例

親子での例

実体験ですが、父親に「研究室には毎日行け」というのと、「バイトには毎日行け」ということを言われました。いずれも、主張自体は理解できます。

ただ、僕の研究室では、大体社会人のフルタイムと同じ時間(約8時間)がコアタイム的なものとして設定されており、通学に片道1時間以上かかっていることも考えると、トータルで大体大学だけで10時間程度拘束されることになります。大学の徒歩圏内にアパートを借りている先輩方もいらっしゃるので、そういった方々はまだ余裕があるかもしれませんが、平日に追加でバイトなどは現実的ではありません。帰宅後もやることはありますし。

こういう、両方はできないこと、むずかしいことを強要してくるのもダブルバインドです。社会人だと、「フルタイム勤務と家事育児の両立」を強いてくる感じでしょうか。不可能ではないかもしれませんが、非常にハードルが高いことは事実です。

職場での例

「『わからないことは遠慮なく質問しろ』」といわれたから質問したら、『この程度のことで質問するな!』といわれた」、「質問しなかったからミスをしたら、『なぜ質問しなかった!』といわれた」という話も聞きます。結局、どちらの選択肢を選んだとしても文句を言われるわけで、これもまさに、ダブルバインドとなっています。

学校での例

教員が児童・生徒に「失敗を恐れず挑戦しなさい」と言いながら、いざ失敗すると「なんでそんなこともできないんだ!」と厳しく叱責するケースもこれにあたります。生徒は「挑戦しろ」と「失敗するな」という矛盾したメッセージを受け取り、挑戦することに臆病になってしまいます。

ダブルバインドへの対処法

もしあなたがダブルバインドの被害に遭った場合、以下のような対処法が考えられます。

  • 「これはダブルバインドだ」と認識し、混乱しているのは自分のせいではないと把握する

  • 「『Aしなさい』と言われましたが、同時に『Aするな』というメッセージも感じます。私はどちらを優先すればよろしいでしょうか?」と、相手に矛盾を示し、明確な指示を求める

  • 信頼できる友人、同僚、カウンセラーなど、当事者ではない第三者に状況を話し、客観的な意見を求める

ただ、ダブルスタンダードの時と同様に、建設的な議論をしようとしても、最終的には後述するように暴言などで強引に主張を通そうとしてくる人や、そもそも論理的に問題があることが理解できない人もいます。そういうときは、残念ながらあきらめるしかないでしょう。自分の心を守ることを最優先しましょう。精神的な消耗を避けるためにも、その場から離れる勇気も必要です。ただ、客観的にはあなたの方に分があります。そのことはよく認識しておきましょう。

暴力・暴言

暴力・暴言とは

これはもはや論理やテクニックの範疇ではなく、対話そのものを完全に放棄し、破壊する行為です。自らの主張が論理的に通らない、あるいは感情が爆発してコントロールできなくなった際に、物理的な暴力や、精神的な暴力である暴言を用いて、相手を恐怖で支配し、強制的に黙らせ、議論を終わらせようとする最終手段です。よく、ブラック企業で働いている人からそういうことをされたという話を聞きます。

暴力・暴言への対処法

暴力・暴言に直面した場合、議論や説得は不要です。あなた自身の安全確保が最優先です。

  • 「これ以上お話しできません」と告げ、速やかにその場から離れる(逃げるのはまったく悪いことではありません)

  • 職場なら上司や人事部、家庭内なら信頼できる人や公的機関に必ず相談する(一人で抱え込んではいけません)

  • いつ、どこで、誰に、何をされたか具体的に記録する

  • 安全が確保された後は、その相手との関係を断つことを検討する

結局のところ、今までの例と同様に、基本的にそういうときは、議論をあきらめるしかありません。議論を続けるだけ無駄です。精神的な消耗を避けるためにも、その場から離れる勇気も必要です。相手を変えるのではなく、自分の身を置く環境を選びましょう

おわりに

持論であり、性善説などにも通じると思いますが、法律などは「人間は理性的で、話せば分かるはずだ」という前提をもとに作られているように思います。

しかし、実際は「そうではない人も意外とたくさんいる」ということはしっかりと認識しておくべきだと思います。

すなわち、「話が通じない、論理的に筋が通らないことを主張する、暴言・暴力に訴えてくる人がいる」ということです。

このことをしっかりと認識しておかないと、ストレスで心が壊れてしまいます。

理不尽な議論で心が壊れそうになったとき、そこから逃げるのは、決して悪いことではありません。 それは、自分の心を守るための賢明な選択です。

この記事が、あなたが日々感じるストレスを少しでも軽減する一助となれば幸いです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。他の記事(特に歴史カードゲームHi!story(ハイスト)の思い)や、本家のハイストの方もよろしくお願いいたします。

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この記事を書いた人

Ropi
Ropi

「放課後のハイスト」ライター

東京大学で量子デバイスの研究をしています。
『閃光のハサウェイ』のムビチケを買いました。

よろしくお願いします。

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