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ハイスト謎#17 パフォーマンス?

ハイスト謎#17 パフォーマンス?

投稿日: 2025年09月11日
最終更新日: 2025年09月11日
かまだかまだ

ハイスト謎#17

それでは本日の1問です。

 難易度:☆☆
自力で解きたい方はスクロールをしないようお願いします。下で解答・解説を表示します。

どうしても行き詰まってしまった場合は教科書や資料集、ネットなどに頼っても大丈夫です。






















解答・解説

今から約300年前というと1700年代前半ですね。この時代日本で何が行われていたかというと、

そう、享保の改革です。

享保の改革における有名な政策の一つとして「目安箱の設置」がありますね。

よって、箱に書かれていたのは「」や「」、つまりの「メス」であることが分かります。

________________

享保の改革は1716年から1746年、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗によって行われた幕政改革です。松平定信による寛政の改革、水野忠邦による天保の改革と並んで江戸時代の三大改革として知られています。

幕政の再建や自らの将軍権力の確率を目的として行われたこの改革で、吉宗は出身である紀州藩の側近を中心に様々な革新的な政策を実行していきます。

例えば、生類憐みの令によって廃止されていた鷹狩の復活。これは軍事訓練としての側面と見分により江戸周辺の実情を把握する意図もありました。

他にも、公事方御定書(裁判の判例集のようなもの)の作成や「米将軍」と呼ばれる由来となった米価を上げ物価を下げる政策(新田開発の奨励や藩札の通用解禁など)も行われました。この米価と物価の問題は常に悩みの種だったようで、通貨の流通量を増やして米価を上げ幕府財政は黒字にできたものの物価も上がってしまい、庶民の生活は圧迫される結果となってしまいました。

そして、本題の「目安箱の設置」。これは政治の参考意見や社会情勢の収集を目的に設置された箱で、吉宗が紀州藩にて用いていた「投書箱」を幕政に転用したものとなります。

この目安箱は庶民の投書が直接将軍に届くという特徴がありました。月3回和田倉御門近くの評定所前に目安箱は設置され、住所・氏名を記入したうえでの投函が必須でした。そのためでたらめな内容などは書けず、不備のある用紙は破棄される仕組みとなっていました。

ただ、目安箱には他にも目的があり、それが「捨て文」の防止でした。捨て文とは役人や政治への不満を記して役所の前に捨て置く行為のことで、目安箱はそのような民衆のガス抜きとしての役割もあったようです。ただ、その不満に応えるとまではいかず、大半の投書は焼き捨てられるいわば建前大半のパフォーマンスであったともいえます。

それでも、投書の中から採用された政策も存在します。

その最たる例が「小石川養生所」の設立です。「貧しい人々が無料で医療行為を受けられる場所を作ってほしい」という町医者の訴えに共感した吉宗は、小石川(現在の東京都文京区)に養生所を設立。幕末までおよそ140年間、貧民救済施設として活躍しました。

このように目安箱は、建前の側面が強くも確かに機能した側面もあったといえるでしょう。

おわりに

いかがだったでしょうか?

享保の改革の中でもとくに有名なこの目安箱ですが、嫌いな役人を貶めるためのウソの投書など投書の質が落ちたこと、以降の将軍が目安箱を重要視しなかったことなどから存在意義は薄れていってしまいました。

現代でも匿名の目安箱は会社や学校、ネット上などでもあったりしますが、その情報の信憑性の精査は運用を行っていくうえで不可欠といえるでしょう。

ありがとうございました。


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かまだ
かまだ

「放課後のハイスト」編集担当。専攻は心理学です。

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