放課後のハイスト
尾形光琳とフェルメールから見る東西の「群青」

尾形光琳とフェルメールから見る東西の「群青」

投稿日: 2024年12月19日
最終更新日: 2024年12月19日
源さん源さん

今回は第7シリーズとなる尾形光琳を話題にしていこうと思う。題して尾形光琳から学ぶ古今東西の青だ。

ハイストに触れている人なら葛飾北斎と言われて一切ピンとこないという人はいないと思うが、尾形光琳と言われてピンとこない人は結構いるのではないか。
死ぬまで絵を描き続けたと言われるほど、長く活躍し作品数も多い北斎と異なり、年を取ってから絵描きを志した光琳は小中学生にとって、あまり記憶に残らない存在かもしれない。私も中学受験の折には、名前こそ覚えたぐらいで、どういう作品を作っていたのかも覚えていなかった。

尾形光琳の名前を鮮明に覚えるようになったのは、大学に進学してデザイン系を扱うようになってからである。今日は、そこで初めて知って、そこから自分なりに少し知識を深めた時のことを使って綴ろうと思う。

燕子花図屛風について

この写真の絵を見てほしい。光琳の効果名あるいはイラストにもなっている燕子花図屛風である。金色の背景、緑色の草、そして青色の花が鮮やかに目に映ってはこないだろうか。
この絵には、金、青、緑の3色しか使わないという引き算の美学が根付いており、それぞれの色をこれでもかというぐらい視界の中で比べさせてくる。
光琳はその名前を取って琳派という一大派閥を作りあげたのだが、同じ琳派の流れに属するとされる俵屋宗達の風神雷神図屛風と比べても、"色の引き算"が見て取れる。

鑑賞論はこれくらいにして、上の風神雷神図屛風と見比べた時、燕子花図屛風は異様に鮮やかではないだろうか。読者のあなたも自分が数年前に描いた絵がもしあれば手元に持ってきてみて欲しい。

少し色褪せてはないだろうか……?

数年でも絵の具が安物だと簡単に色あせてしまうものだ。仮に尾形光琳が使った絵の具が高級なものだとしても、燕子花図屛風が描かれてから300年ほどが経っている。風神雷神図屛風と同じく色あせているはずだ。

そう、光琳の燕子花図屛風が非常に高く評価されているのは、琳派の代表としてのセンスの高さだけではない。なぜか300年経っても色褪せない青、これが我々の心を掴んでくるのだ。

群青色の中身

ちなみにここまで青色と書いてきたが、具体的には群青色と言う。群青色は、東洋においてはアズライト(藍銅鉱)を用いて発色させる。
ついでに、ここまで絵の具と書いてきたが、そもそも絵の具には染料と顔料の二種類がある。染料は草花から絞り出したものを使うもの、顔料は鉱物を削り出して使うものである。
ではアズライトを用いる群青色は染料だろうか? 顔料だろうか? 正解はもちろん顔料である。

藍"銅"鉱と書いたから分かるかもしれないが、アズライトには銅が含まれる。ご存知かもしれないが、金銀と違って銅は反応性が高く、空気や水によって別の物質に変わってしまう性質を持っている。10円玉を放っておくと錆びて薄緑色の汚れを発するのがそうである。

アズライトもまた反応性が高い鉱物である。特に日本の気候のように空気中に水蒸気がふんだんに含まれるような場合、アズライトは以下のように反応してしまい、先ほど紹介した薄緑色の汚れ、緑青に変わってしまう。
2Cu3(CO3)2(OH)2+H2O=Cu2(CO3)(OH)2+CO2

300年もそのまま放置していたら、薄緑色に変わっていってしまうはずなのである。つまり燕子花図屛風は相当大切に保管され続けてきたということだ。
宝とは手に入れるだけのものではない、丹念にお手入れを続けてこそであり、ましてや国の宝ともなれば、それは並大抵でないと言えるだろう。

ちなみにこれまで薄緑色の汚れと書いてきた緑青だが、光琳はこれすらも上手く使い、燕子花の草の部分に用いている。
今でこそ化学合成の画材で溢れ、もはやデジタルで容易に発色ができるようになったが、本来、画家とは画材の調達にも非常に気を使うものだったのだ。

西洋の群青色

ところで、この群青という色、東洋ではアズライトを用いて発色させていたが、西洋ではどうしていたのだろうか。

実は西洋では青色の発色にはあまりアズライトは使っていなかった。代わりに使っていたのがウルトラマリンでありラズライトだった。
ラズライトが含まれる鉱石をラピスラズリ(日本では瑠璃と書く)という。サファイアによく似た鉱石だが、アルミニウム主体ではなくケイ素主体の鉱物である。

鉱物であるラピスラズリを使うウルトラマリンは、これもやはり顔料である。

しかし、このラピスラズリ、今でこそ同じ系統の色は化学合成されるため発色は容易だが、尾形光琳が生きていた時代ぐらいまでは、非常に貴重な顔料だった。採掘地が現在のアフガニスタン周辺ぐらいしかなかったのである。
そのためヨーロッパやアラビア、エジプトでは金よりも貴重とされるぐらい希少だったのである。それにウルトラマリンで発色できるような鮮やかなタイプの青色は、他の染料や顔料では中々再現できないものだった。つまり鮮やかな青色というのは、一般人が扱えるようなものではなかったのだ。

それを打ち破ったのが17世紀のオランダの画家、フェルメールである。彼はそれまで王族か聖人ぐらいにしか使うことができなかった群青を、他のテーマにもふんだんに使うようになったのだ。

フェルメールを一躍有名にしたのがこの「青いターバンの少女」である。それまでの常識を打ち破り、自らの財産を切り崩して大量にラピスラズリを仕入れ、一介の少女に詰め込んだこの絵は、当時から既に有名だった。それほどラピスラズリは貴重だったのだ。

青いターバンの少女と燕子花図屛風

注目したいのは青いターバンの少女は1665年頃、燕子花図屛風は1700年頃の絵であるから、奇しくも同時期に洋の東西で後世にも愛される「群青」をテーマにした絵が生まれたということである。手に入りにくさと色の残りにくさという差はあれど、21世紀に鮮やかに見ることが類まれなること、という共通点を考えれば、なんだか運命的なものも感じてしまう。

こういうことは、教育科目の一つである日本史だけにこだわっていては見えてこない。既存の枠組みを破壊し、世界史、化学、美術、様々な科目に触れられる幅広い視点が大事である。ぜひ、色んなことに興味を持ってほしい。


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源さん
源さん

どうも、源だ。ハイストでは、主に歴史系とイラスト生成系を担当しておるぞ。よろしくお頼み申す。

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