
ハイストクイズ#7 マリー=アントワネット編
ハイストクイズ#7
「マリー=アントワネット」
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」の文言でも知られる
フランス王妃、マリー=アントワネット。しかし実はこのセリフ、彼女の発言ではないことが近年分かっています。さらに、セリフ自体も若干異なるものでした。
では、本来のセリフはどのようなものだったでしょう?
「パンがないなら、○○を食べればいいじゃない」
この○○に当てはまるものは次のうちどれでしょう?
A:フィナンシェ
B:ブリオッシュ
C:マドレーヌ
D:マリトッツォ
E:シュトーレン
下で解答・解説を表示します。
解答・解説
正解は、Bの「ブリオッシュ」でした!
元ネタとなったとされるのは、哲学者ルソーの自伝「告白」。1740年ごろ、ルソーがパンを探していた時に、ふと「農民にはパンがない」と家臣に言われた高貴な女性が「それならブリオッシュを食べればいいじゃない」と冗談を言った話を思い出した、というものです。
それが当時貴族から嫌われていたマリー=アントワネットの発言ということにされて、ある意味汚名を着せられるような形で広まってしまったようです。
なお、ブリオッシュはバターや卵をふんだんに使ったフランスの菓子パンで、当時はパンというよりもお菓子として扱われていました。
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1755年、神聖ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア女大公マリア=テレジアの11女として誕生したマリー=アントワネット。
当時のオーストリアはプロイセン(現在のドイツ北部~ポーランド西部を領土とした王国)の脅威に対抗するためフランスとの同盟関係を深めようとしており、その一環としてルイ・オーギュスト(後のルイ16世)にアントワネットが政略結婚として嫁ぐことになりました。
フランス王家としてもオーストリアとの同盟を維持しようとしていましたが、一方でフランス世論としては直近の七年戦争(イギリス・プロイセンvsその他欧州列強)でオーストリアと組んで敗れていたため反オーストリアの風潮が高まっている状態でした。アントワネットもそのあおりを受け、偏見の目にさらされることとなります。
ルイ16世が即位し王妃となったアントワネットは、ヴェルサイユ宮殿内のあらゆる無駄な習慣を廃止させます(王妃に直接ものを渡してはいけない、地位によって便器の形が異なるなど)。しかしこれもまた伝統派の貴族たちの反感を買うものでした。
また、財政難のさなか宮殿内に当時の集落を再現した「プチ・アモー」を私用に建設したことで「浪費家、世間知らず」といったイメージが加速していきます。
さて、1789年フランス革命が勃発すると、国王一家は身の安全のためフランスを脱出する計画を立てます。脱出を計画したフェルセンはアントワネットを家庭教師に変装させ、さらに国王とは別の馬車に乗せることで見つかりづらくしようとします。
しかしアントワネットは家族全員で馬車に乗ることを譲らず、しかも食器や衣装箪笥、食料品、酒樽までのせたため移動は大変ゆっくりなものになり、国境近くのヴァレンヌで捕獲・パリに連れ戻されることとなります。このヴァレンヌ事件により国王一家は完全に支持者を失い見放されることとなってしまいました。
その後情報漏洩の疑惑やダンプル塔での幽閉生活の後、1793年、国民公会はルイ16世に死刑宣告を行います。約9か月後、裁判の後アントワネットにも死刑宣告がなされ、ルイ16世と同じくコンコルド広場にてギロチン処刑が実行されました。
37年の短い生涯でした。
おわりに
いかがだったでしょうか?
傲慢な悪女のイメージが強いマリー=アントワネットですが、実際は時代の運と偏見に恵まれなかった部分が大きいようです。その美貌や気品の高さは様々な場面で記録に残っています。
処刑が行われたコンコルド広場についてはこちらの記事でも触れているのでぜひご覧ください。
ありがとうございました。

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