なぜ歴史を勉強するの?をハイストを作る大学生がやさしく解説
「ママ、パパ、なんで歴史って勉強する方がいいの?」
――もしあなたのお子さんからそう尋ねられたら、どう答えますか?
「暗記するだけの科目」 としか思えず、返事に詰まってしまうことはないでしょうか。本当は、歴史を学ぶことには、私たちの未来を拓くヒントがたくさん詰まっているはず... なんだけどうまく説明ができない、という方も多いのではないかと思います。
答えがない上に平易に説明するのがとても難しいことですが、これを機に「なぜ歴史を学ぶのか」をもう一度じっくりと見つめ直してみませんか?
歴史カードゲームHi!story(ハイストリー)を開発した身として、歴史を学ぶ意義について自分なりの考えを綴ってみたので、参考の1つとして読んでもらえると嬉しいです!
もし、1日前の記憶・記録が残らなかったら?
わかりやすく極端な例で考えてみましょう。
もし、我々人間が1日前の記憶も、記録も残らず、現在だけを生きる生物であったらどんな世界になっているでしょう?
少なくとも世界は現在のような発展をしなかったはずです。昨日した同じ過ちを延々と繰り返し、進歩は生まれなさそうな気がしてきます。堂々巡りの中で、たまたまうまく行った結果が生まれても、1日経てばリセットされる悲しい世界なのではないでしょうか。
実際の世界に戻りましょう。
幸運なことに、僕たち人間には「過去を振り返る力、未来を見通す力」があります。
抽象的で実感しにくいかもしれませんが、誰もが日常生活でもその力を使っています。
昨日は夜更かしして寝坊してしまった。じゃあ今日は昨日より1時間早く寝よう。
友達にあんなひどいことを言っちゃったから明日はちゃんと謝って仲直りしよう。
こういった日常生活の小さなことからもっとスケールの大きなことまで、知識や教訓としてストックして学び、未来に活かすことを繰り返して人類は進歩してきました。そして、現在は過去の頭のいい人の失敗や成功などが最も多く集積された素晴らしい時代です。
あなたがどうすべきか迷っていること、困っていることは、実は昔の頭のいい人が答えを出している可能性が高いです。それを今知ることができるのに知ろうとしないのは、少し勿体無いようにも感じます。
「巨人の肩の上に立つ」 という有名な言葉があるように、偉大な科学者ニュートンも過去の先人の叡智の積み重ねの上に立たなければ新しい発見は無かったと手紙に綴りました。
過去を振り返ることができなければ、未来を見ることはできない。ここに歴史を学ぶヒントが隠れているのではないかと思います。
「目線の高さ」を行き来する力
未来を見る力・過去を振り返る力を目線の高さで例えてみます。
目の前には未来、後ろには過去が広がっていると思ってみてください。
「目線が低い」状態
過去を振り返ることをせず、忙しく日常生活を送っている時、今まさにやっていることに集中しています。今日やることで頭がいっぱいになっており、ある程度見通せる未来の範囲は1週間〜1ヶ月程度で、ぼんやりとなら数ヶ月くらいでしょうか。
この状態がいわゆる、「目線が低い」状態です。
目線が低い時、前を見通せる距離は長くありません。長期間にわたって前方に横たわる物事があっても壁の表面の部分しか見えておらず全体像が掴めません。
「目線が高い」状態
しかし、この人の目線が高かったらどうなるでしょうか?
目線が高いため、前後共に遠くがよく見える。前方に大きなものがあっても上から見下ろすことで全体像が掴めそうです。
過去の流れの延長として物事を捉えることができているため、現在の状況を踏まえて未来に起こる可能性が高いことを根拠を用いて想定できます。何かに取り組む際には全体像を把握し、過去の優れた手法を利用したり、起こりうる想定外に対しても対策を講じる準備のできる理想的な状態と言えます。
この状態が、「目線が高い」状態です。
これは素晴らしい一方で、これだけでは問題も生じてきます。目線が高いと足元ははっきり見えません。他の人が見えない高さで話をすると、他の人と目線が合わず、齟齬や衝突につながってしまいます。半歩先しか見ていない人に対して十歩先の話をしても理解されません。
大事なのは、「目線の高さ」を行き来する力です。
足元にあることにも集中するために「目線の低い」状態を持ちながらも、時に「目線の高い」状態で全体を俯瞰することを忘れない。この行き来をする力が今まさに誰しもが持っておく必要のある力なのではないかと思います。
歴史に触れることが「目線を高く」する
ここで、歴史に触れることが「目線を高く」するのにうってつけなのではないかと思います。
歴史を学ぶとき、空から国や地球を見ているような感じがします。地図上に色付けされた地域を見たり、民族や集団などの移動フローや領土拡大を矢印などで視覚的に捉えることができます。先ほどの「目線の高さ」から大きく離れて俯瞰的に物事を見ることができます。
ある種自分とは離れた場所に視点を飛ばすことで、その中で自分ごととして考えてみることで自然と見通しを立てることにつながります。
歴史を学ぶことで、「目線が低い」状態から「目線が高い」状態にシフトしたり、逆に「目線が高い」状態で得た知見を「目線が低い」方に持っていき実行することができるようになります。要するに、俯瞰的な視点で物事を見て、未来に起こりうる可能性を想定したり、過去の頭のいい人の知恵を拝借して今に活かすことができるようになります。
終わりに
つい最近まで受験生であった一個人の意見として、他の同年代の友人などに聞く限り、現在の学校で教わる教科としての「歴史」は受験のための道具という位置付けだったという印象が強いのが正直な感想ですが、いざ「そんなことないよ!」と伝える立場になると難しいと感じることが多く、現場で工夫を続ける先生方などの凄さに気づかされています。
今回、なるべく平易に説明させてもらったつもりですが、子どもたちにわかりやすく「歴史を勉強する意味」のようなものを伝えるのは難しいのが現実です。
だからこそ、歴史に触れるタイミングで理由はなんであれ 「楽しい!」「面白い!」 と思ってもらうことが必須なのではないかと考えています。今、歴史を楽しく主体的に学べる仕組みを作ることが求められているのではないか、と強く感じています。
"歴史を楽しく主体的に"
歴史カードゲームHi!story(ハイストリー)が全ての子どもたちに歴史を楽しく学ぶきっかけを提供します。
気になった方はハイストのHPやこちらの記事など覗いてみてください!
知ってるよって方はぜひ今後もハイストをよろしくお願いします!