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ハイスト謎#12 国民的娯楽?

ハイスト謎#12 国民的娯楽?

投稿日: 2025年05月22日
最終更新日: 2025年05月22日
かまだかまだ

ハイスト謎#12

それでは本日の1問です。

 難易度:☆☆☆☆
自力で解きたい方はスクロールをしないようお願いします。下で解答・解説を表示します。

どうしても行き詰まってしまった場合は教科書や資料集、ネットなどに頼っても大丈夫です。














ヒント:あるスポーツに関係しているようです。














解答・解説

正解は、「」でした。

次の塁に進塁することもあれば、牽制などで塁に戻ることもあります。ヒットや四球で出塁することもありますし、盗塁されることもあります。

よって、あらためて、正解は「」であることが分かります。

日本に野球がアメリカから伝わったのは1871年。当時、まだ野球という言葉はなく、英語読みの「ベースボール」の名で呼ばれていました。

1895年に第一高等中学校の野球部員、中馬庚(ちゅうまんかなえ)が「ベースボール」を「野球」と初めて訳すと徐々にこの名称が広がり、1900年代に入ると一般でも野球の名称が広く使われるようになりました。

中馬庚は他にも「ショート」を「遊撃手」と訳したことでも知られ、1970年に野球殿堂入りを果たしています。

なお、日本で野球を広めた人物として有名なのが正岡子規です。捕手として野球に熱中した正岡子規は、打者走者四球など、多くの野球用語を日本語に訳したことで知られています。

また、自身のペンネームとして「野球(のぼーる)」という名前を使用していました。これは自身の幼名である(のぼる)からとったものでまだベースボールが野球と訳されるよりも前の話なのですが、結果的に正岡子規の野球愛がうかがえるエピソードとなっています。

正岡子規は野球にまつわる句も多く残していて、例えば

「夏草や ベースボールの 人遠し」

「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす」

「今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸の打ち騒ぐかな」

などといったものが残されています。

このように文学を通して野球の普及・発展に大きく貢献したとして正岡子規も2002年に野球殿堂入りを果たしています。

おわりに

いかがだったでしょうか?

ちなみに、野球の始球式で打者がわざと空振りをするスタイルは日本発祥です。1908年の日米親善野球(アメリカ選抜vs早稲田大学野球部)で始球式を行った大隈重信が大暴投を披露した際に、打席の部員が大学創設者である大隈重信に恥をかかせまいとスイングしてストライクにしたのが始まりだそうです。

それ以降、投手役への敬意としてバッターは始球式で空振りをするという習慣ができていったようです。

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この記事を書いた人

かまだ
かまだ

「放課後のハイスト」編集担当。専攻は心理学です。

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