
ハイスト謎#11 平和の祈り?
ハイスト謎#11
それでは本日の1問です。
難易度:☆☆☆☆自力で解きたい方はスクロールをしないようお願いします。下で解答・解説を表示します。
どうしても行き詰まってしまった場合は教科書や資料集、ネットなどに頼っても大丈夫です。
ヒント1:数字の色に注目してください。
ヒント2:数字は常に左から1、2、3...と並んでいるようです。
解答・解説
この問題のポイントは、それぞれの数字がそれぞれの色の何文字目かを表している、ということに気付くことでした。
一番上の段で確認してみると、
「くろ」の1文字目の「く」、
「むらさき」の2文字目の「ら」、
「ちゃいろ」の3文字目の「い」
で「くらい」となります。
また、画像から、数字は常に左から1、2、3...と並んでいることが分かります。
これらを踏まえたうえで一番下の段を見ると、大部分が見えなくなっていることが分かります。つまり、「透明」な字で書かれていると分かります。
よって、法則にのっとって文字を埋めるとこの図のようになり、答えは「東大寺」であることが分かります。
東大寺は728年、聖武天皇の皇太子である基親王(もといしんのう)の菩提を追修(=供養)するために建てられた山房(のちの金鐘山寺)を起源とします。その後741年に国分寺・国分尼寺建立の詔が発せられたのに伴って金鐘山寺は大和国国分寺(金明光寺)に昇格し、これがのちの東大寺となりました。
そもそもなぜ国分寺・国分尼寺建立の詔が出されたかというと、それは
「仏教の力で国を治めるため」
です。
当時、聖武天皇の時代は荒れに荒れていて、大地震や大飢饉、疫病の流行など、完全に国全体が疲弊しきっている状態でした。
何かにすがるしかなかった聖武天皇は仏教に頼り(鎮護国家思想、経典を供養することで国家が守護されるという考え方)、全国各地に寺を作ることで国を安定させようとします。
もちろん国民は疲弊していたので最初は建設協力を渋りますが、国司・郡司を子孫の代まで国が保護するという条件が付くと徐々に建設が進んでいくこととなります。
同時期に大仏建立の詔も発せられ、東大寺での建設開始から7年後の752年、インド出身の僧・菩提僊那(ぼだいせんな)によって開眼供養が行われました。
天下泰平・万民豊楽を祈願する役割の他にも仏教の教理を研究し学僧を養成する役割もあり、平安・鎌倉時代には多くの学僧が輩出されました。
こうした歴史のもとで幾度の焼失・倒壊、神仏分離令などの危機を乗り越え、今なお貴重な文化遺産を多く遺している東大寺は、「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。
おわりに
いかがだったでしょうか?
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