
学歴って重要なの??? ~改めて考えてみた~
本記事は、しばしば論争になる、「学歴は重要なのか」という論争に対する個人的な意見を述べるために執筆いたしました。
「学歴は重要である」と考える人が良くする主張としては、環境が良いとか能力の証明になるというような主張が良くされます。一方、「学歴は重要でない」と考える人が良くする主張としては、結局は中身が重要とか、大したことは学べないから意味がないとかいう主張が良くされます。
どちらも筋が通っているように見えますが、先に持論から述べると、「重要ではあるが、必須ではない」というのが僕の考えです。
以下、そのように考える理由を述べていきます。
よろしくお願いいたします。
人間には向き・不向きがある
本来、人間には向き・不向きがあると思います。振り返ってみると、めちゃくちゃサッカーができる子や、絵が上手い子、歴史に詳しい子などが周りにいたことがあるのではないでしょうか。それはおそらく努力云々というよりは、「持って生まれた才能」のようなものに由来するものであると思います。したがって、「人間には向き・不向きがある」という主張に対して異議を唱える人はあまりいないのではないでしょうか。「多様性」としばしばいわれますが、そういった向き・不向きの存在を認めることも、「多様性」であると思います。
そのため、勉強以外にも評価されるべき項目はもっとたくさんあるはずですが、実際には多くの子供が評価されるのは「勉強のでき」であると思います。それはなぜなのかを、本記事では考えてみたいと思います。
勉強の比重は大きい
スポーツでいうところの「野球」や「サッカー」のように、「勉強」という種目があるとすれば、おそらく子供にとっては最も参加人数が多いものとなります。
なぜならば、高校まではほぼ義務教育といって良いような状況ですが、高校までの学校の時間の大部分は座学だからです。思い返していただけるとよくわかると思いますが、英語や数学などの座学が大体割くらいを占めていたと思います。
そして、座学の集大成ともいえるものが大学入試であり非常に多くの人が参加します。大学入学共通テストであれば、浪人生も含むことになりますが、回あたりおおよそ万人が参加します(参考資料1)。スポーツであれば、競技人口が多いサッカーであっても、かなり多めに見積もったうえで単純計算で1学年およそ万人です(参考資料2)。すなわち、相当多いことがわかると思います。
以上のように、勉強に参加する人は非常に多く、必然的に激しい競争の場となります。そして、そういった多くの人が参加する場に参加する人の方が、評価されやすいという事実があります。例えば、マイナースポーツができる人よりは、メジャーなスポーツができる人の方が評価されやすいのは理解できると思います。
「頭の良さ」に関して
「頭の良さ」は重要
「頭の良さ」というものは個人のみならず、社会にとって重要です。多くの人がハイレベルな教育を受け、高い能力を持っているから現代の社会は上手くいっているといえます。
「読み書きそろばん」という言葉がありますが、実際、そういった基本的な能力を社会を構成する人間のほとんどが持っているということは非常に強いです。会話が通じたり、文章で表現してもそれがちゃんと理解されるということは、非常に重要なのです。なお、この「読み書きそろばん」のおかげで、江戸時代の日本の識字率は世界的にみても非常に高かったといわれています。
一方、かつては「読み書きそろばん」ができれば最低限は大丈夫でしたが、現代社会では今まで以上に求められる物事が多いです。特に、昔は一般人が簡単に利用できるコンピューターなどはなかったですから、そういった電子機器が扱える能力も身につける必要性が出てきています。したがって、昔よりもある意味では大変だと思います。
「頭の良さ」を測るには?
「人間性」を測るのと同じように、「頭の良さ」を測ることは結構難しいと思います。「頭が良い」というのは、「物事を正しく考えられること」だと僕は思っているのですが、物事を正しく考えるといっても、多くの人はどの物事を考えるかでどの程度できるかが変わってきます。
そして、「物事を正しく考えられているか」を確認する一つの手段として、入試問題があります。実際、難関大の入試問題は「考える」問題が多く、論理的思考力を測ることが「ある程度」できると思います。
ただ、「問題が解ける」というのもまた難しいもので、極端な話、「頭が良いから解ける」のか、「たまたま解いたことがある問題だから解ける」のかを区別することはできないです。それはそれで努力してきたことの証明にはなるわけですが。実際、特定の分野にだけ非常に強い人がいたとします。たまたまその分野から試験が出た場合、全体としての学力は高くなくても、試験では上手くいくことがあります。
一方、学歴のある方でも、明らかに間違ったことを考えることがあります。ニュースを見ていれば、政治家の方などが明らかにおかしなことを言っている場面などは何度も見たことがあると思います。
以上のように、「頭の良さ」を測ることは非常に難しいと考えられ、学歴があろうが、おかしな論理を振り回す人はたくさんいます。それでも、まったく入試問題を解くことができない人たちよりは論理的思考力があるかもしれませんが。
大学名はこだわるべき?
医学部などの、一番簡単なところでも非常に難しく、特殊な資格が手に入るような例外的な場合は除き、基本的に多浪してまで入る意味があるかはわかりません。学歴に関係なく上手くやる人は上手くやりますし、そうでない人は上手くいきません。ただ、やはり「ある程度「しっかりとした」大学に行かないとなれない仕事もたくさんある(研究職など)ので、結局は「何になりたいか」によるような気もします。実際、大学で学んだこととはまったく関係がないことを仕事にする人もいれば、その延長線上の仕事をする人もいます。
一方、現実的には折り合いをつけることが必要になってくると思います。そのためには、自分の能力をできる限り客観的に評価することが重要となってくると思います。「無謀すぎる挑戦」はしない方が賢明な気がします。
僕自身への自戒も兼ねていますが、いきなりド素人がスポーツの県大会で優勝するようなこと基本ありえないということはわかるのに、「受験戦争」においてはなかなかそう思えない人が結構いるように思います。難関大に受かる難易度は、比較するスポーツにもよりますが、同程度かそれ以上の難易度になる可能性があります。
学ぶことの価値
「大学で学ぶことは社会に出ても使えない」としばしばいわれます。また、が発達した現在、人間が勉強することに意味はあるのかということもよく言われます。
しかし、果たしてそうでしょうか。
まず、大学で学ぶことが社会に出て使えるのかということに関して、持論を述べると、「分野にもよるが、十分に役に立つ」と思います。特に、理系はその傾向が強いように思います。実際、工業系の大学は就職に強い、すなわち、企業から求められた人材であるといえます。また、大学に入ると、かなり高度なことが学べる機会が得られます。
次に、に関して、新しいものを作り出すのはほとんどの場合、高学歴といわれるような人たちです。例えば、「AIが発達するから勉強なんて意味ない!」と主張するような人を見たことがありますが、そのAIを作り出したのは、科学者であり、世間的には超高学歴といわれるような人たちです。
同様の事例はおそらくコンピューターなどでもいえて、コンピューターは人間がやるとものすごく時間のかかる計算などを一瞬で行うことができましたが、そのコンピューターを作り出したのも科学者であり、世間的には超高学歴といわれるような人たちです。
したがって、AIが最終的にいつ、どのレベルにまで到達するかにもよりますが、よほどのことがない限り、少なくともハイレベルな学びをする人間の価値は失われないでしょう。
以上のように、人間が学ぶことの価値自体がなくなることはないと考えられるといえます。そして、そういった高度なことが学べる可能性のある大学に行くことは、学びたいという気持ちがあるのであれば、十分に価値があることであると思います。
比較からは逃れられない
残念ながら、資本主義社会である以上、比較からは逃れられません。すなわち、「良い大学」であることに越したことはないといえます。
ひとつわかりやすい例として、お医者さんの例があります。あなたが何かしら手術を受けるとします。その際、かかる費用が変わらないのであれば、できる限り腕の立つ人にやってもらいたいと思うのは必然であると思います。すなわち、優秀であるならば優秀であるに越したことはないといえます。
すなわち、学歴という比較方法が存在する以上、良い学歴であって困ることは基本的にはないといえます。そもそも、学歴によって人を比較するという行為自体が妥当なのか、という議論も当然あります。しかし、個人的には学歴(特に博士号)を手に入れる大変さを知っているので、学歴を比較すること自体はあっても良いと思います。スポーツ選手がスポーツができるから評価されることとあまり変わらないのではないかと思います。ただ、運動ができない人を馬鹿にするのが良くないことであるのと同様に、学歴がない人を馬鹿にすることもまたやってはいけないことであると思います。
おわりに
本記事は、しばしば論争になる、「学歴は重要なのか」という論争に対する個人的な意見を述べてきました。
「学歴は重要ではあるが、必須ではない」という僕の考えに同意してもらおうとは思ってはいませんが、ある程度理解していただけたら幸いです。
最終的に、学歴をどう考えるかは個人の価値観によると思います。学歴は一つの尺度ではあっても、すべてを決めるものではありません。大切なのは、それをどう活かし、他者とどう関わるかではないでしょうか。
ここまで読んでいただきありがとうございました。他の記事(特に歴史カードゲームHi!story(ハイスト)の思い)や本家のハイストの方もよろしくお願いします。

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