
ハイスト謎#8 服属儀礼?
ハイスト謎#8
それでは本日の1問です。
難易度:☆☆☆☆☆
自力で解きたい方はスクロールをしないようお願いします。下でヒント、さらに下で解答・解説を表示します。
どうしても行き詰まってしまった場合は教科書や資料集、ネットなどに頼っても大丈夫です。
ヒント1:単語をそれぞれ適切な形に変換してみましょう
ヒント2:太陽は「サン」、ゴールドは「金」と変換します。
ヒント3:矢印の意味を考えてください。
解答・解説
この謎のポイントは、矢印の意味を理解することでした。問題を整理すると、このように矢印によって「さん」と「きん」が入れ替わっていることが分かります。
つまり、この矢印は「さん」「きん」交代を表しているので、「地元」に対して参勤交代を適用すると答えは「江戸」ということになります。
参勤交代は1635年、徳川家光が武家諸法度を改正したことにより制度化されました。これにより諸大名は原則として1年に1度江戸と領地を行き来することとなりました。
目的として一般に言われているのは
・大名を江戸に定期的に出仕させることで幕府に対する服従関係を明確にする儀礼的な役割
・大名が江戸に駐在し大名課役(軍役や警備、公共事業など)を務めることで幕藩体制を維持する役割
他にも、定期的な江戸と領地の往復は大名にとってかなり負担になるため財政の圧迫や軍事力の低下を招くことで幕府への謀反を防止するという説もありますが、現在は幕府にこのような意図はなくあくまで結果論的な説だとされています。
しかし実際、参勤交代の費用は江戸に滞在する費用も合わせると藩の収入の半分以上が使われていたり、一日平均10時間・40キロもの距離を移動する過酷さから道中で亡くなる殿様もいたりと、その負担の大きさが見て取れます。
江戸幕府としても負担を憂慮して「大名行列の人数を減らすように」と伝えていましたが、大名の見栄の問題もあり負担を減らすのもまた難しかったようです。
また、松前藩のように江戸から遠い藩や、海外との窓口があった対馬藩などの藩は特例措置として他の藩と比べ参勤交代の頻度が少なく、滞在期間も短く設定されていました。
幕末期、ペリー来航に代表される欧州列強の日本進出が本格化すると、1862年、朝廷は海防等を理由に参勤交代制の改革を要求し、幕府はそれに応える形で通常1年に1度のところを3年に1度とするなど緩和策を実施します。日本全体の軍備増強を図る策でしたが結果的に幕府の力は低下し、1867年、大政奉還とともに参勤交代は消失することとなりました。
おわりに
いかがだったでしょうか?
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