
ハイストクイズ#2 伊能忠敬編
ハイストクイズ#2
「伊能忠敬」日本全国の測量・大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)の作成で知られる伊能忠敬。完成した大日本沿海輿地全図(伊能図)は国防等の観点から幕府によって国家機密として秘匿されていましたが、ほどなくして秘匿しておく意味はなくなってしまいました。いったいなぜでしょう?
A:海外から日本地図が逆輸入され流通してしまった
B:伊能図に大幅な修正箇所が発覚し、再測量が必要になった
C:海外脅威に対応するため各藩に地図を配布する必要ができた
下で解答・解説を表示します。
解答・解説
正解は、Aの「海外から日本地図が逆輸入され流通してしまった」でした!
シーボルト事件、と聞くとピンと来る方もいるかもしれません。1828年、長崎で医師として働いていたシーボルトが、当時国家機密であった大日本沿海輿地全図を含む文書を国外に持ち出そうとして関係者が処罰された事件です。
シーボルトが大日本沿海輿地全図を手に入れた背景には幕府の天文方であった高橋景保の存在があります。
景保は伊能忠敬の師匠である高橋至時の息子であり、忠敬が亡くなった後その仕事を引き継ぎ大日本沿海輿地全図を完成させた人物として知られています。
日本の地理に興味があったシーボルトは景保に対し当時の最新の世界地図を渡す代わりに大日本沿海輿地全図をもらう取引を行いました。
もちろん出国時にこのことはバレてしまい地図は没収、関係者は投獄など厳しい処罰を受けます。しかしなぜか結果的には写しが持ち出されてしまい、シーボルトは帰国後地図を含む日本で得た情報を書籍「NIPPON」として出版しています。
さらに開国後の1861年、イギリス海軍が日本沿岸を測量していると、攘夷勢力の活動を懸念した幕府は大日本沿海輿地全図の写しを渡すことで測量を中止させました。地図の精巧さに驚いたイギリス海軍は手元のデータも反映させこれを「日本と朝鮮近傍の沿海図」として1863年に出版します。
当時海軍操練所で航海術を教えていた勝海舟はこのイギリス海軍が刊行した地図に出会い、その必要性を痛感し翻訳の上木版多色摺で「大日本国沿海略図」として出版させます。
こうして国家機密だったはずの大日本沿海輿地全図は、紆余曲折を経て海外に流出した地図をもとに日本国内で出版されることとなったのでした。
おわりに
いかがだったでしょうか?
55歳から測量を始め精巧な地図を完成させた伊能忠敬。その正確な測量のため歩幅は約69cmで統一されていたといい、推歩が天文学の意を示すように歩測がいかに測量において重要な技術であったかが見て取れます。
伊能忠敬の雑学というとこのような測量中にまつわるものが多いと思いますが、意外と「その後」のことに関しては盲点だったのではないでしょうか。
このように歴史の「その後」に目を向けてみると、また一つ視野が広がるかもしれません。
ありがとうございました。

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