
その論理大丈夫? ~よくある論理の誤りとその見分け方~
突然ですが、みなさんは何かを議論する際、論理的に誤りのない議論ができていますか?
今回は、議論においてよくある「一見正しそうに見えるけど、実際は論理的に問題があること」をつ紹介したいと思います。
ぜひ本記事を読んで、論理的に問題のある議論をしないようにしましょう。
それではよろしくお願いいたします。
真のスコットランド人論法
割とよく聞く話であると思いますが、「真のスコットランド人論法(No true Scotsman)」という一見正しいですが、論理的に誤った論法があります。
この論法の名前の由来は、「でも、真のスコットランド人は粥に砂糖を入れない。(But no true Scotsman puts sugar on his porridge.)」というたとえ話からであるそうです。
この論法は、「自分の主張を守るために、定義を都合よく書き換えて反例を排除する詭弁」であり、論理的に誤りがあります。あるあるな例としては、「本当に頭の良い人は○○だ」とか、「本当の金持ちは△△だ」とかいうような主張があります。
より詳しく述べるために、「本当に優れた人は謙虚だ」という主張で、「真のスコットランド人論法」を考えてみましょう。以下のような会話を考えてみます。
さん:「さんは結果を出していてとても優秀だ」
さん:「でも謙虚ではないよね」
さん:「実績があるから関係ないと思うけど…」
さん:「いや、そんなのは"本当に優れた人"とは言えないよ。"本当に優れてる人"っていうのは、謙虚さを持ち合わせている人なんだから」
さん:「そういうものなのかなあ…」
さて、以上の会話をあなたはどう思ったでしょうか。さんの考えでは、『「優れている人」=結果を出している人』という主張でしたが、あとからさんによって「謙虚さ」という要素が加わり、『「優れている人」=結果を出している人かつ謙虚な人』というように前提が変わってしまいました。さんにとってはそうなのかもしれませんが、さんにとっては、異なる定義となっています。
すなわち、途中で前提が変わっているため、実はさんの主張は正しい反論にはなっていません。「さんはとても優秀である」という主張に対して、正しい反論を行いたいのであれば、「結果を出しているといっても、さんやさんの方が、短い期間でさらに良い結果を出しているよね」とかいう主張をしなければなりません。このように、「結果を出している」という軸に沿った形で反論する必要があります。
「真のスコットランド人論法」の誤りについてご理解いただけたでしょうか?
みなさんも、「真のスコットランド人論法」を使って、前提を途中で変えるようなことがないようにしましょう。
人身攻撃
次に、「人身攻撃(argumentum ad hominem)」という、論理的、ひいては倫理的にも問題があると考えられる論法を紹介したいと思います。
これは、「ある主張に対して、その主張自体に具体的に反論するのではなく、主張した人を攻撃すること」です。すなわち、「論点ずらし」の一種であるともいえるものです。
あなたは、「反論できなくなると、相手に対して誹謗中傷しだすような人」を見たことがないでしょうか。あれが正に人身攻撃です。「貧乏人は黙ってろ」とか「だからモテないんだよ」とか「素人は黙ってろ」とか、本筋とは関係ない主張で反論できた気になっている人は結構いるようです。
このような主張は、内容に対して反論しているのではなく、相手の属性を攻撃して黙らせようとしているだけです。したがって、まったく反論にはなっていません。
そもそも、論理的なことがわからない人に論理的に正しいことをいっても理解されないので、相手が主張の誤りを認めるということはなかなかないように思います。したがって、中立のジャッジをする人が議論では重要になってくると思います。ジャッジする人から見たら、人身攻撃による反論(?)をした人がいれば、その時点でその反論(?)の負けであると判断できるともいえます。
議論の本質は「どちらが相手を言い負かすか」ではなく、「どちらの主張が論理的に妥当か」という点にあります。人身攻撃は、相手を黙らせる手段にはなるかもしれませんが、主張の正しさを証明することにはまったくなりません。したがって、自分が反論する際はこのような反論をするべきではありませんし、相手にされたら「それは人身攻撃である」と指摘してあげましょう。
早まった一般化
『理工系の「女子枠」についてもっと考えてみた』という僕の前の記事のところでも少し述べましたが、集団の傾向を、すべての個人に適用するような論理は誤りです。すなわち、物事を簡単に一般化することはふつうはできません。
例えば、「○○人は犯罪率が高い」という統計的な事実があったとしても、すべての○○人が犯罪をするとは言えません。もっと論理的におかしい例としては、「自分の同僚の東大卒は仕事ができない、だから学歴は仕事に関係しないから意味がない」みたいなものもあります。「東大卒」といっても仕事の出来にグラデーションがあるのは当然でしょうから、「仕事ができない東大卒」がいてもおかしくはありませんが、「すべての東大卒が仕事ができない」とはいえません。また、「△△大卒は平均年収が高い」というデータがあったとして、すべての学部学科がその全体のデータに沿った状態であるかはわかりません。医学部医学科がある大学であれば、医学科の平均年収はかなり高いので「ふつうの学部」のみの大学よりは平均年収が高く出やすいでしょう。
このように、「普遍的な事実」みたいなものは意外と存在しないわけですが、それがさもあるかのように物事を語る人はかなりたくさんいると思います。○○人ならば「必ず」犯罪をする、あるいはしないとは言い切れませんし、東大卒ならば「必ず」仕事ができる、あるいはできないともいえず、△△大卒だから「必ず」年収が高い、あるいは低いとはいえないということです。「統計的な事実」は世の中たくさん存在しますが、逆に言えば統計に沿わないこともたくさんあります。世の中、例外だらけです。
以上のように、統計的な傾向の有無はいえますが、すべてを語ることは簡単にはできません。みなさんも、一般化する際は例外が存在がするかどうかに気を配りましょう。これは勉強でもいえることです。
悪魔の証明
最後に、「悪魔の証明(Proof of the Devil)」というこれまた有名な例を紹介します。
これは、「存在しないことを証明することを求める論法のこと」です。有名な例としては、「幽霊が存在しないことの証明」とか「宇宙人が存在しないことの証明」があります。数学などでもいえますが、存在しないことを証明することは非常に難しいことが多いです。なぜならば、例外が1つでもあればその主張は崩れてしまうため、無限に可能性を潰していくようなアプローチが必要になるからです。
例えば、「悪魔の証明」とはズレますが、「フェルマーの最終定理」という有名な定理があります。これは、「以上の自然数に対して、自然数 を使って、を満たす非自明な解は存在しない」というものですが、これを証明するのに人類は年以上かかったといわれています。これは、文章の通り存在しないことを示すものでしたが、ものすごく難しいものでした。
一方、「の時代に学歴は不要である」という主張などは、反例があれば即座に崩れるタイプの主張です。例えば、次のような反例を挙げることで簡単に論破することができます。
・やなど、最先端研究に関わる人々の多くは超高学歴である
・時代にリーダーシップを発揮している人々(・研究者)は、いずれも高度な教育を受けている
・のアウトプットを正しく使いこなすには、基礎的な論理力・教養・専門知識が必須である
これらはすべて「学歴が役立っている」具体的な実例であり、一つでも真であれば「学歴は時代に不要」という絶対的な主張は成り立たなくなります。つまり、このようなタイプの主張は「悪魔の証明」とは違い、反例を挙げられればすぐに論破できるような主張です。
以上のように、主張のタイプによって、証明の難易度は変わってきます。どのタイプの話をしているのかを見極めて、論理的に考えるようにしましょう。
おわりに
本記事では、議論においてよくある「一見正しそうに見えるけど、実際は論理的に問題があること」をつ紹介しました。議論する際に、これらのような誤った論法を使わないように気を付けていただけると嬉しいです。
論理というものは、日頃から意識しておかないと論理的におかしい主張を自分がする可能性もありますし、誰かのおかしい主張に納得してしまう可能性もあります。
このような状態にならないためには、やはり日頃から物事を考える経験を積むことが重要であると思います。子供であれば、日頃の勉強がこの経験を積むことに意識しなくてもなると思います。ぜひ、日頃から論理を意識していただきたいと思います。長い目でみれば、論理力は必ずプラスになると僕は信じています。
ここまで読んでいただきありがとうございました。他の記事(特に歴史カードゲームHi!story(ハイスト)の思い)や本家のハイストの方もよろしくお願いします。

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