理系大学生がかけ算の順序問題をあらためて考えてみた
最近、SNSでいわゆる「かけ算の順序問題」が再度話題になっていたようなので、個人的に改めて考えてみたいと思い、本記事を書かせていただきました。
あらためてこの問題を考えてみると、大学生となった今でも結構勉強になったので、物事を考える際の参考になれば幸いです。
かけ算の順序問題とは?
「かけ算の順序問題」とは、簡潔に述べると、小学校のかけ算の文章題において、答えがあっていても教員側が想定していた式の順序と異なっていた場合、×になるという採点方針に関するものです。
例えば、「人の人に人につきお菓子を個ずつ配るとき、最低何個あれば良いですか。」というような問題があったとき、と書かずに、と書いたら×になるというようなことです。数学上はどの順序で書いたとしても問題はないわけですが、これを〇とするか×とするかで、数十年論争は続いているそうです。
なぜ順序にこだわるのか
順序にこだわる派の主張として一般的なのは、問題の理解度を確認するために順序が重要であるというものです。例えば、先ほどのお菓子の問題で考えると、「○○人につき△△個必要で、□□人いるから◇◇個必要」というような立式にしてほしいようです。すなわち、「」ということです。したがって、先ほど述べた通り、問題文に出てくる数字の順序とは関係なく、の方が正解となるそうです。
このような主張はたしかに一理あります。例えば、徒歩分と書かれていたとき、「徒歩は分速 だから、で 離れている」と考えると思います。
これは、「分につき 進めて、分かかるから 離れている」という風に考えているわけです。すなわち、
となっており、先ほどと同様のことを考えています。
以上のように、たしかに思考の流れとしては、
という順序の方が納得できる計算となっています。しかし、だからといって数学上この順序だけが正しいのかというとそういうわけではありません。
例えば、「」ではなく「」と書いたとしても全く問題はありません。なぜならば、最終的な単位は「」になるからです。なお、まれに生き残る単位が、先に書いた方の数字の単位に依存するという風に誤解している人がいるようなので、そういう人からするとたしかに順序がないと困るのかもしれません。
加えて、学年が上がっていくと、の付いたものどうしのかけ算も当たり前のように出てきます。そうなってくると、「○○につき△△で、□□だから◇◇」という「基本に忠実な考え方」にとらわれていると、全く計算ができなくなってしまいます。このような点も、順序にこだわることの弊害であるといえると思います。
順序問題の原因
なぜ式を書く順序で理解をはかろうとしてしまうのか、それは計算式に単位を書かないからであるという結論に私は至りました。
例えば、とかと式だけが書かれていたとして、なんの計算をしているのかはわかりません。「時速 で時間歩いた」という可能性もありますし、逆に日本語としては少しおかしいですが、「時間の間、時速 で歩いた」という可能性もあります。もちろん、そもそも速度と時間ですらない可能性もあります。このように、式だけでは何をしているのかはわかりません。
ではどのように確定されるのかというと、問題文に書かれているか、あるいは、式そのものに や といったように単位もセットで書くといったことが考えられます。
このような表記法は、私の知る限り、化学の計算式によく出てくると思います。例えば、計算式内になどと計算式そのものに単位がセットで書かれることがあります。このような表記法であれば、式を書いている人が意味を理解したうえで書いているか確認できるし、計算の意味も明確になるのでかなり良いと思うのですが、現行の教え方ではそういったことはやっていません。というより、単位の教育が上手くできていないと言えるかもしれません。
単位って何だろう?
単位は物事を考えるうえで非常に重要です。
例えば、「目的地まで かかります」とかは意味不明ですし、一般に薬の成分は(ミリグラム)単位で扱われますが、単位の(ミリ)をなくしてにしてしまうと、とんでもないことになってしまいます。また、時速 と秒速 とか、 あたり 円と あたり 円ではえらい違いとなります。すなわち、何々あたりなのかも非常に重要です。
以上のように、単位は日常生活を送る上でも非常に重要なのですが、自分を含めて、高校物理や化学では、単位をわかってない人は結構多いように思います。また、理系に進学すると、日常的に使わないイメージのわきにくい単位を扱うことはよくあるため、かなり厄介なものではあります。したがって、しっかりと理解できている人は意外と多くないと思います。一方、日常生活でよく出てくるような単位に関しては、常識として理解できていないといけないと思います。
実際、順序って重要なの?
計算の順序というものは、一般的な計算においては問題となりません。実際、先ほどの例だと、です。このように、順序を入れ換えても結果が変わらないことを可換といいます。すなわち、可換な計算をする限り、順序を入れ換えても全く問題はないと言えます。
ここで、一つ疑問が出てきます。「わざわざ可換という言葉があるのだから、可換でない計算もあるのか」という疑問です。この疑問は至極真っ当で、実際可換でない計算は存在します。
可換でない有名な計算として、ベクトルの外積の計算や行列の積、量子力学での演算子の交換関係などがあります。行列って何?とか演算子って何?という疑問はいったんおいておきますが、例えば、一般に行列と行列の積が定義できるとき、
となります。これは、一般的な計算であればとなっていることと同じであり、普通の感覚からだと成り立ちませんが、行列のルールの中では基本的にこういったことが成り立ちます。このように、可換でないものを非可換といいます。なお、行列と行列の取り方によっては、、すなわち可換となる場合もあります。
以上のように、かなりハイレベルな計算をしようと思った場合はかけ算の順序は重要となります。しかし、逆に言えば普段の計算、特に小学校レベルの計算では順序は全く関係がないと言えます。したがって、やはり順序は入れ換えても特に問題はないと言えます。
最後に
かけ算の順序にこだわることはある程度の合理性はあります。たしかに思考の流れとしては順当です。しかし、順序を逆にしても数学的な問題はありませんし、基本的な順序にこだわるあまり、応用がきかなくなる可能性も十分にあります。したがって、やはり個人的には、
と思います。また、生徒の理解度を本当にはかりたいのであれば、かなり難しいとは思いますが、
のが良いと思います。
以上、かなり長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。